人生
人生の意義
人生とは、生産と消費による営みであります。物心両面にわたるよき生産とよき消費が、よき人生をつくります。
よき生産とよき消費を行うには、精神文化の向上と物質文化の発展とを図らねばなりません。政治も経済も、科学も芸術も、宗教も教育も、すべてこの目的を実現するところに意義があり、これを離れては何の価値もありません。
お互いによき生産とよき消費を営むことに努め、広く繁栄、平和、幸福を実現し、人生の意義を全うしなければなりません。
幸福の意義
幸福は人間の最も欲するところでありますが、その幸福感は人によってみな異なります。真の幸福はその人の幸福感によって定まるものではありません。
何が幸福かは、その人みずからが幸福と感じるとともに、その時代の社会の良識がその幸福感を承認することによって定めることができます。
真の幸福は、その人の生活と社会の良識が真理に順応するところから生まれます。お互いに真の幸福を得るために、真理に順応することに努めなければなりません。
天分の自覚
およそこの世に、同じ物は一つもなく、同じ人間は一人もありません。おのおのその使命を異にし、その道を異にしております。
すべての人を、同じ型にあてはめ、同じ道を歩ませようとすることは、自然の理にもとることとなります。
人みな異色異行、そのままに天分を伸ばしていくところに、自分も生き、全体も生きる道があります。そこに真の自由が生まれ、真の繁栄、平和、幸福が築かれてまいります。
人間としての成功
人には、おのおの異なった生命力が与えられています。この天分を生かすことが、人間としての成功であります。
人間としての成功と社会的な地位とは、何のかかわりもありません。何が成功であるかは、人によって異なるからであります。
お互いに素直な心で自分の天分を見いだし、人間としての成功を全うしなければなりません。そこから個人の幸福と社会の繁栄が生まれてまいります。
礼の本義
礼は、人間が人間本然の生活に入る第一歩であります。礼を知り、これを守ることによって、人間生活の秩序が保たれ、平和の道がひらけます。
礼は三つに分けられます。第一の礼は、宇宙根源の力に対する礼であります。第二の礼は人間に対する礼であります。第三の礼は物に対する礼であります。
第一の礼は信仰に生きることであります。この第一の礼を基本として、第二、第三の礼が定まり、ここに生活の基礎がおかれると、繁栄の生活が生まれます。
信仰のあり方(一)
信仰とは、すべてを育てる天地の恵みに、感謝の真心をささげることであります。恵みのありがたさを知ることであります。そこに正しい信仰の生活が生まれます。
恵みはすでに与えられております。これを忘れて人間の小さな意欲に走るとき、そこに迷いと迷信とが生まれてくるのであります。
天地の恵みは無心であり、平等であります。この恵みに対して感謝のまことをささげるとき、人の心は清純となり、無限の力が湧いてくるのであります。
信仰のあり方(二)
天地の恵みは、何の分け隔てもなく、われわれ人間に燦々〈さんさん〉として降り注いでおります。それはあまりに広大なために、無心のごとくに思われます。
この恵みの根源には、万物を生かし人間を生かそうとする宇宙の意志が大きく働いております。この大いなる宇宙の意志を感得し、これに深い喜びと感謝をもち、さらに深い祈念と順応の心をささげることが、信仰の本然の姿であります。
われわれがこの信仰に立ったとき、宇宙の意志がいきいきと働いて、ものを生み出す知恵才覚が湧いてまいります。そこから力強い労作が生まれ、繁栄への道がひらけてまいります。
礼としつけ
礼を教えるには、しつけが大切であります。家庭や学校はもちろん、社会もこれに強い関心をもたなければなりません。
まことのしつけは、天分を伸ばし人間を幸福にするものであります。かたちにとらわれて窮屈になってはなりません。
礼は徳の基〈もとい〉であります。しつけはこの徳を生み出すものであります。お互いがしつけを身につけ、いきいきとした生活を営むとき、住みよい社会が築かれます。
悩みの本質
人間は、現実の生活においては、絶えず何かの悩みを抱いております。そして、その悩みの解決のつかないままに、さらに悩みを重ねて苦しむ場合が少なくありません。
人間には、本来、悩みがあってはならないのであります。限りない繁栄、平和、幸福が本質的に与えられているからであります。
素直な心で、この人間本来の姿を自覚していけば、悩みは転じて向上の資となってまいります。そこから幸福への道がひらけてまいります。
健康の原理
人はみな本来健康なものであります。病気は、自然の理法にたがうところから起こってまいります。
健康を保つ方法は人によって異なります。人おのおのに与えられた資性に従って生活の道を守れば、弱い人は弱い人なりに健康を楽しむことができます。
お互いに自然の理法を知ることに努め、自分の強さに応じた生活を営まなければなりません。それによって健康が保たれ、繁栄の道がひらかれます。
謙虚の生活
人が道を誤り事に失敗するのは、得意のときや失意のときに多く現われます。それは得意のときにはうぬぼれ、失意のときには悲観しやすいからであります。
道を誤らないためには、得意にもうぬぼれず、失意にも悲観しない淡々たる心境をもちたいものであります。それは謙虚な心を養うことによって得られます。
常に謙虚な生活態度をもっていると、物事の筋道がよく分かり、過ちをおかすことがしだいに少なくなります。そこからお互いの繁栄が生まれてまいります。
運命の意義
人間には、自然の理にもとづいて、運命の働きが与えられています。この働きは、その時その時代の良識では解明できない要素をもっています。
運命の働きは、解明できないままに一人一人みな異なったかたちで与えられています。一人として同じ運命をもつ者はありません。ここに人間の本質の一面があります。
素直にこの運命観に立つとき、これを生かす道がおのずから会得されてまいります。ここから人それぞれの幸福が生まれてくるのであります。
自己観照
人はとかく自分にとらわれて、自己本位の考えに陥りがちであります。これを避けるためには自己観照を行わなければなりません。
自己観照とは、心を自由に去来せしめて、外から自分の心を眺め返し、それによって正しい自己認識をすることであります。
自己観照によって自分自身の考え方や立場が公正に認識できると、いかなることにも適正に処する行動が生まれてまいります。すべての人がこのように行動するとき、自他共栄の繁栄の社会をつくり出すことができます。
素直な心
素直な心とは、寛容にして私心なき心、広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心であります。また、静にして動、動にして静の働きある心、真理に通ずる心であります。
素直な心が生長すれば、心の働きが高まり、ものの道理が明らかになって、実相がよくつかめます。また、そのなすところ融通無碍〈むげ〉、ついには、円満具足の人格を大成して、悟りの境地にも達するようになります。
素直な心になるには、まず、それを望むことから始めねばなりません。喜んで人みなの教えを聞き、自身も工夫し精進し、これを重ねていけば、しだいにこの心境が会得できるようになるのであります。