昭和55(1980)年2~3月ごろ、PHP研究所は唐津一氏(松下通信工業常務・当時)、牛尾治朗氏(ウシオ電機会長・当時)らと共に、無税国家実現のための財団法人を設立する構想を練っていました。同年11月27日の設立を目指して「財団法人 松下政経研究所」について検討された資料が現存しています。当初は松下幸之助の持論である無税国家論だけを重視し、国土創成論は取り上げない予定になっていました。
やがて松下電器を通じて、昭和57(1982)年5月11日「松下経営研究所」の構想が発表されました(※1)。PHP研究所や松下政経塾とは別組織とし、この時点では株式会社にするか、財団法人にするか未定でした。5月8日、松下電器中央研究所で開かれた「命知第三節を迎えて 飛躍を期す会」で、幸之助は次のように説明しています。
今度つくる会社は、多少PHP的なね、将来というものも考えに入れてね、PHPじゃありませんけども、松下経営研究所というような名前で、まあそういうような会社をつくって、それで物をつくって売るというんやなくして、やや思想的な意味を加味した経営体をつくっていきたいと。それを松下電器産業の他にね、やっていきたい。(速記録№1921)
その後、同年8月13日、「株式会社 松下経営研究所」の設立趣意書が検討されています。この組織は「松下政経研究所」の構想が発展したものであり、無税国家論に加えて国土創成論も重視することになりました。
やがて同年12月3日付で「株式会社 松下経営研究所」が資本金30億円で設立されました(※2)。休眠会社であった「ナショナル月賦販売」の商号を変更する形での設立です。
この研究所は、PHP研究所と松下政経塾を下部団体として統括し、経営の思想を国内外に販売するシンクタンクとして活動する予定でした。しかし、設立後は実質的な活動がなく、次第に休眠化していったと考えられます。
1)「PHP・政経塾に続き『経営研究所』計画」『毎日新聞』昭和57(1982)年5月12日付。
2)「松下経営研が発足」『日刊工業新聞』昭和57(1982)年12月29日付。