年 | 年齢 | 事項 |
---|---|---|
1918年(大正7年) | 23 | 3月7日大阪市北区(現福島区)西野田大開町に松下電気器具製作所創立、アタッチメントプラグ、二灯用差込プラグの製造販売を始める |
1920年(大正9年) | 25 | M矢の社章・商標を制定 全従業員28名で歩一会を結成(昭和21年労働組合の結成を機に解散) 東京駐在所開設(のちに東京出張所となる) |
1922年(大正11年) | 27 | 大阪市北区(現福島区)大開町に第1次本店・工場竣工、従業員50名 住み込み店員制度を開始 |
1923年(大正12年) | 28 | 砲弾型電池式自転車ランプを考案発売 |
1924年(大正13年) | 29 | 代理店会議をはじめて開催 |
1925年(大正14年) | 30 | 電池ランプの全国販売権とエキセルの商標権を山本商店に譲渡 区会議員選挙に推されて立候補し2位で当選 |
1926年(大正15年) | 31 | 山本商店から電池ランプの全国販売権を買い戻す |
1927年(昭和2年) | 32 | 電熱部門を設置して電気アイロン、ストーブ等の生産販売開始 住友銀行と取引開始 角型ランプにはじめて「ナショナル」の商標をつけて発売 はじめて新聞に3行広告を出す 販売店向け機関誌『松下電器月報』創刊 『歩一会会誌』創刊 |
1928年(昭和3年) | 33 | 月販売額10万円突破、従業員300名 |
1929年(昭和4年) | 34 | 松下電器製作所と改称 綱領・信条を制定し、松下電器の基本方針を明示する 大阪市此花区(現福島区)大開町に第2次本店・工場竣工 キーソケット、電気コタツ発売 この年、世界的恐慌となったが、半日勤務、生産半減、給与全額支給とし、従業員を解雇することなく不況を乗り切る |
1930年(昭和5年) | 35 | スーパーアイロンが商工省から国産優良品の指定を受ける ラジオ発売 |
1931年(昭和6年) | 36 | 初荷を全社的行事として挙行 歩一会第1回運動会を天王寺公園グラウンドで開催 研究部作成のラジオ受信機がNHK(東京)のラジオセット・コンクールで1等となる 小森乾電池を買いとり、乾電池の自社生産開始 |
1932年(昭和7年) | 37 | 貿易部を設置し、輸出事業に着手 5月5日を創業記念日に制定し、第1回創業記念式典を挙行、産業人の使命を闡明(せんめい)、この年を命知元年とする 日本無線通信(株)所有のラジオに関する特許を買収し、これを一般に無償公開する |
1933年(昭和8年) | 38 | 事業部制を実施 朝会・夕会を実施 大阪府北河内郡門真村(現門真市)に第3次本店・工場竣工 松下電器の遵奉すべき5精神(のちに7精神となる)を制定 |
1934年(昭和9年) | 39 | 松下電器店員養成所開校、所長に就任 『松下電器所内新聞』を発刊 |
1935年(昭和10年) | 40 | 松下電器製作所を株式会社組織とし松下電器産業(株)を設立 同時に、従来の事業部制を分社制とし、9分社を設立「松下電器基本内規」を制定 |
1936年(昭和11年) | 41 | 松下電器工員養成所を開校 NHK(大阪)から「実業道を語る」を放送 「商売戦術30箇条」を発表 |
1938年(昭和13年) | 43 | 高野山に物故従業員慰霊塔を竣工 紺綬褒章を受章 |
1939年(昭和14年) | 44 | NHK(大阪)から「私の体験を通じて店員諸君に語る」を放送 |
1940年(昭和15年) | 45 | 第1回経営方針発表会を開催(以後、毎年開催) 松下病院(現松下記念病院)を竣工 |
1941年(昭和16年) | 46 | 「発明者考案者の番付表」を発表 |
1942年(昭和17年) | 47 | 「製品劣化に関する注意」を通達 |
1943年(昭和18年) | 48 | 軍の要請で松下造船(株)、松下飛行機(株)を設立 勲五等瑞宝章を受章 M矢の社章を三松葉の社章に改定 |
松下幸之助年譜
社長時代・終戦前(23〜50歳)1918年 - 1945年
松下幸之助の歩んだ94年間の人生を、独立・松下電気器具製作所(のちの松下電器産業)開業まで、同社長時代・終戦前、同社長時代・終戦後、同会長時代、同相談役時代の5つに分けて、写真とともにたどります。