21世紀に向けて大阪を国際文化都市にすべく「大阪21世紀協会」の構想が持ち上がり、昭和57(1982)年2月27日、協会の設立を待たずに松下幸之助が会長に内定しました(※1)。幸之助によれば、一度は断ったものの、周囲の熱心な要請で就任することにしたそうです(速記録№1985)。

 財団の設立総会は同年3月31日、大阪市天満橋の大阪キャッスルホテルで開かれています。総会後に記者会見をした幸之助は、「世界の政治、経済が混迷している時代に生まれるべくして生まれた計画だ」と言いました(※2)。事務局が大阪キャッスルホテルの4階に設けられ、皮切りとして「大阪築城400年まつり委員会」が組織されました。


 同年12月24日、「21世紀協会懇談会」として、松下電器本社で記者会見が開かれました(速記録№1958)。司会者によれば、前月に幸之助は、「同じやるなら、ごっついことをやりまひょやないか」と言ったそうです。


 昭和58(1983)年10月1日から11月23日まで大阪城で「大阪築城400年まつり」の行事の一部として「大阪城博覧会」が開催されました。幸之助は10月1日朝9時、大阪府知事、大阪市長らと共に、大阪城桜門で開幕式のテープカットをしています(写真)(※3)。この日、幸之助は博覧会の会場と、竣工を迎えた大阪城ホールと3回のテープカットを行ないました(速記録№1985)。「大阪築城400年まつり」は、秋から冬にかけて、主要なものだけで20以上のイベントが開催されています。


 幸之助は昭和59(1984)年11月まで、同協会の会長を務めました。



1)「大阪21世紀協会 松下幸之助氏が会長就任を受諾」『読売新聞』昭和57(1982)年2月27日付。


2)「大阪を国際都市にしよう」『日本経済新聞』昭和57(1982)年4月1日付。


3)「秋高く『大阪城博』開幕」『毎日新聞』昭和58(1983)年10月1日付。