松下幸之助のPHPにかける思い
PHPについて
PHPとは、“Peace and Happiness through Prosperity”という英語の頭文字をとったもので、“繁栄によって平和と幸福を”という意味のことばです。これは、物心ともに豊かな真の繁栄を実現していくことによって、人々の上に真の平和と幸福をもたらそうという願いを表したものです。
私たち人類は、原始の昔から今日まで、この繁栄、平和、幸福の実現を願って努力してきているといえるのではないでしょうか。PHPという名称はつけていませんでしたが、人々の営みのすべてはことごとくPHPの実現を目指すものであったといっても過言ではないでしょう。その結果、人類は時代とともに大きな進歩発展を遂げてきたわけです。
しかし、人類がこれまでの歴史において大きな進歩を遂げてきたことは事実であるとしても、その内容なり程度は、必ずしも最善ではなかったとも考えられます。本来、もっとスムーズに、もっと物心両面の調和のとれた形で進歩発展することが可能でありながら、いわば不必要な損失、犠牲を繰り返してきている一面があるのではないでしょうか。
PHP研究所経営理念研究本部では、そのことを根本から反省し、人間には本来、繁栄、平和、幸福を実現できる本質が与えられているという人間観に立脚して、これからの人類の歩みの上に真のPHPを、より好ましい姿で実現していくための理念と方策を、多くの方々の衆知に教えを請いつつ研究していきたいと考えています。
松下幸之助からのメッセージ
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「困窮をきわめた世相を目の当たりにして……」
そのとき、ちょうど私が51歳のときでした。そのときの世相は、戦後の退廃した、窮乏した時代でありますから、非常に困窮をきわめておったですね。国民生活の上に、いろんな形において、いろいろ悲惨な状態が起こっておったです。
それで、私は当時、松下電器の経営をやっていかなならん立場にあったんですけれども、それはまた大事な仕事であるけれども、一面に、こういうような世相、なぜ起こったんだろうかと、またそれを復旧していくという政治なり世間の動きというもので、私に腑におちないものがたくさんあったんです。それで、電気器具の製造という仕事をばしていくかたわらですね、人間として、社会人として、そういう面を考えてみなくちゃならんと、こういうふうに考えて、PHPの研究というものをやったわけです。
そのときに考えたのは、非常にこの荒んだ社会情勢というものは、なぜだろうか、ということを考えてみたんです。これが人間のですね、一つの避けることのできない姿であれば、これはこれでしょうがない、ということもありますが、しかし、ぼくはそのとき、そう考えなかったんです。どう考えたかというと、人間というものは、限りなき繁栄と平和と幸福というものを、原則として与えられているもんだと、こういうふうに考えたんです。 それがそのようにいかない、こういう悲惨な世相というものは、みずから人間が招いたもんである。本来は与えられておるものをみずから捨てておるんだ、で、そのことに気がついておらないと、こういうふうに考えたわけです。
そう考えてみると、やはり、この日本の悲惨な姿というものは、本来ありえないもんだ。それはみずから招いたもんである。人間の小賢しい知恵とか、また過ぎたる欲望に捉われて、みずから壊しているんだ。そういうふうにも考えられる。
だから、そういう考え方を是正してですね、本来与えられているところの繁栄、平和、幸福というものを求めていく道を求めていったならば、必ず求められるにちがいないと、そういうようなことを、私は私なりに考えてみたんです。
これは一朝一夕にいかないけれども、また、われわれ自身の知恵、才覚ではいかないけれども、幸いにして三十億の人々がおるんやから、みんなの知恵を一つずつ、少しずつでも集めて、そしてそれを生かすことができたならば、それは叡智ともなる、神の知恵ともなる、ということに通ずるんやないかということで、じゃあひとつ、PHP研究、PHP運動というものを始めようということでやりかけたんです。
(昭和43年11月3日 PHP研究所創設22周年記念式典における話より)