PHP研究所では、昭和51(1976)年2月2日に友の会本部事務局を設置し、PHP友の会の設立を促す活動を続けました。やがて友の会会員による自主的な活動の必要が議論されるようになり、昭和54(1979)年11月2~3日、「第1回秋期セミナー」が「全国大会の準備大会」として開催された記録があります(54-11-12)(※1)。

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 翌昭和55(1980)年11月2~3日、第2回秋期セミナーが53の団体、135名の参加を得て開催されました(55-11-1)。以上2回はPHP研究所の創設記念式典と重なる日程だったので、昭和56(1981)年「第3回秋期セミナー」は10月10~11日に開催され、松下電器・枚方訓練センターを会場とし、約200名が参加しました(56-10-22)。そのほか、同年10月25日、東京の鴻池ビルで「'81フェスティバル東京」が開催され、約200名が参加しています(56-10-22)。


 これらの準備を経て、昭和57(1982)年10月10日、京都のKBSホールで第1回PHP友の会全国大会が開催され、約800名が参加しました(57-10-36)。各友の会の活動発表の後、松下幸之助が講話をしました(写真)。戦争と終戦後の状況について述べ、PHP活動を始めた動機を回顧しています。幸之助は「(PHPの)考え方をば普及しようということで友の会をつくったんではございません」「会員の方々が自発的にお考えになってやられたらええんや」(速記録№1949)と述べました。


 次に、テレビドラマ「ナショナル ゴールデン・アワー てんてん娘」(昭和31~32年放送)の主演女優、宮城まり子氏も登壇し、主宰する障がい者支援団体「ねむの木学園」の児童と共に合唱を披露しています。児童はお礼の意を込めて幸之助に花束を贈りました。


 翌11日に、第4回秋期セミナーが開催され、約200名が集まり、「PHP友の会連絡会」が発足しました(57-10-36)。PHP研究所側の記録として「これにより会員の自主的な活動が行なわれるが、当分の間、事務局の応援が必要である」という言葉が残っています。



1)以下、昭和54年『PHP研究所所誌』ファイル11月12頁を「54-11-12」と記述します。