よいものがあっても、そのよさを知らなければ、それは無きに等しい。もう一度この国のよさを見直してみたい。そして、日本人としての誇りを、おたがいに持ち直してみたい。考え直してみたい。
『道をひらく』(1968)
解説
パソコンや携帯電話といった情報機器の機能は急速に進化、複雑化しており、せっかくの便利な機能も知らないまま使わないでいる利用者が実際のところ多いのではないでしょうか。ただその「よさ」を知りたいのなら、付属の説明書をしっかり読めば事足りるでしょう。しかし日本と日本人の「よさ」を知るとなると、そうはいきません。格好の説明書などあるものではなく、著者・発言者・編纂者の思想や哲学や思惑が背景にあるため、偏りのない中庸な視点を保ちつつ把握するのは至難の業です。それは学校の教科書や辞書でさえ、例外ではありません。
また日本の「よさ」に対する、国内での視点・関心とグローバルなそれにもズレがあり、見る側によって「よさ」には違いがあります。いま日本といえば、アニメをすぐに思い浮かべる海外の方も多いし、オタク文化に日本の「よさ」を感じる人々もいるようで、日本ではサブカルチャーとされるものが、海外では日本の文化の代表になっている場合もあります。多様化する社会において、「よさ」を知ることはますます難しくなっているのが現実といえます。そうした中で、松下幸之助が大切にしてきた考え方は、いまも有益なヒントを与えてくれます。幸之助がつねに求めていた、素直な心になること、そのうえで衆知を集めて自己の見識を高めること、まずは人間を知ること……といった姿勢は、「よさ」を知るための道を照らす一燈となることでしょう。
ちなみに幸之助にとってこの国の「よさ」とは一体何だったのでしょうか。それは時代性のあるものではなく、不変性、連続性をもったものであり、民族の本質に根ざしたものであったようです。“もしドラ”で大ブームとなったP・F・ドラッカー氏の代表作に『断絶の時代』(1969)という著書があり、その“断絶”という表現が独り歩きして日本国内で流行ったことがありました。けれども当時、幸之助は“日本人に断絶はない”として、ドラッカー氏のタイトルに拒否反応を示しました。日本人には日本人の“血”が流れ続けるのだと固く信じ、日本という国に世代間の断絶など本質的にあってはならないと主張したのです。
では幸之助がとらえた、日本人の「よさ」とは何だったのか。美しい自然と共生する文化、和の心、仕事の正確無比、粘り強さ、礼儀礼節の尊重……。それぞれの人にそれぞれの答えがあるはずですが、幸之助の最終的な答えは大きく3つにまとめられました。それは「主座を保つ」「衆知を集める」「和を尊ぶ」でした。これらに関してはいずれ本コラムで紹介していきますが、日本人の「よさ」というものを突き詰めて、とらえようとすると、この3つの項目に行きあたる人は案外多いのではないでしょうか。
学び
自分が知る自分のよさとは……。
まだ自分が知らない自分のよさとは……。