お互いがこの日本の国に生まれ、日本人であることが一つの運命だとするならば、われわれはこの是非善悪以前の事実を素直に認識して、日本人であることに心を定めるということが大切ではないかと思います。その運命はそのまま承認し、その上に立って積極的にこの日本をより好ましい国にしていこうと心を決めるのです。

日本と日本人について』(1982) 

解説

 「運命はそのまま承認」という表現が今回の言葉にみられますが、松下幸之助はこの「承認」という言葉を意識的に使っていたようです。日本人という民族、はたまた知能、体力、貧富の差といった生まれついてのものを、幸之助は、運命=是非善悪以前の事実として、あるがままに承認すべきものとしたのです。それはつまり多くの人が“偶然”と考え、不平等感さえもつ運命というものを、“必然”のものと認識しようとしたということです。

 そして“世間一般から見て、運のいい人も悪い人も、それぞれの運命に従っている。大きな視点でみれば、いずれも世の中に必要な人であり、同じように尊敬すべきだ”といった発言も残しています。世間一般の平等・不平等の価値観とは異なる独自の価値観で、幸之助は世の中をみていたのです。

 しかもこうした考え方は実践されたものであり、事実、生来の病弱な体質や家庭の事情といったマイナスの運命を、幸之助はいつの頃からか承認し、積極的に生かし、みずからの成功要因と公言するまでになります。商売・経営においても、不況を偶然の産物でなく必然と認識し、その上でなにが正しいか、世間はなにを求めているのかを考え、なすべきをなすよう専心努力しました。それが幸之助の歩いた経営道であり、ついには、“世間は神のごとく正しい”という達観も得たのでした。

 この運命観、偶然と必然の認識といったものは、人間の共存、人類と自然との共生を考える上で、哲学者や宗教者、さらには生物学などの自然科学者も行きあたる重要命題だといっていいでしょう。そして幸之助は、自身の体験をもとに思索を重ねるなか、今回の言葉にあるように、人それぞれの境遇、日本人に生まれたという運命を必然のものだと心に定め、積極的に生かしていく、それがすべての日本人がなすべきことだ、と考えるに至ったのです。 

学び

自分の運命を素直に認める人でありたい。

どんな運命であってもそれを必然と思う、積極的な生き方をしたい。