維新の志士の人々は、一介の下級武士にすぎなくても、“新しい日本をつくりたい。つくらなくてはならない”という燃ゆるがごとき強い願望といいますか、情熱をもっていた。だから、それがいろいろなかたちでの行動となって現われ、社会全体を動かし、近代日本を開化させたわけですね。われわれはまだそこまでの強い願望はもっていない。一面に“なんとかしなくてはならない”と考え、よりよき社会を求めつつも、反面に泰平の夢を追っているようなところが多分にあります。それもまた人間の一つの姿ともいえますが。

『松下幸之助発言集41』(『Voice』1978年2月号)

解説

 松下幸之助は「願望」について、同誌でこうも述べています。“それはその願望がどれだけ強いものであったか、いいかえれば、そのことをほんとうに心から念願していたかどうかだと思うのです。まあ早い話が、ここに大きな川があったとしますね。そのときに、どうしてもむこう岸へ渡りたいという人は、泳いででも行くでしょうし、それが危険ならば丸木舟でもつくって渡ろうとする。大勢であれば、橋をかけるということになるかもしれない。しかし、願望がそれほど強くない人は「危ないからやめておこうか」ということで終わってしまう。結局人間は、ほんとうに強く願ったことは必ず実現できるのじゃないでしょうか”。

 お互い、強く願って事を始めても、なかなかうまくいかないと、ついあきらめたくなるものです。困難に遭遇して“どうしたら強い願望をもてますか、もち続けることができますか”と幸之助に聞きたくなるかもしれません。

 「まず、もちたい、もち続けたいと、あなたが強く願うことですな」。幸之助はきっとそう答えるでしょう。結局のところ、願望の強弱・大小は他人との比較ではかるものではなく、みずからの心の“ものさし”でしかはかることができないものです。そして願望をもち続けることができるかどうかは、みずからの意志以外に決定権をもつことができないのではないでしょうか。

学び

願望をもつ。強い願望をもつ。

その強き願望で事は動く。