われわれが目覚めた素直な心で見たときに、日本は遅れていた。だから海外の人々から知識を借り、教えを請うて、日本をよくしなければならないと素直に考えた明治の指導者は、そういう意味において偉かった。私は、それが人間の生きる一つの姿だろうと思うのであります。

『松下幸之助発言集11』(防衛大学校での講演・1964)

解説

 明治の指導者・リーダーたちはどう「目覚めた」のか。江戸末期からの国難にあって、日本という国家・民族が進むべき道を模索する思想・主義がさまざまに生起しました。尊皇攘夷に開国論、明治へと時代が移るなかで、和魂洋才、脱亜入欧、白禍論、国民主義、国粋主義、農本主義……。日本という存在、つまりは日本民族の伝統精神、歴史、魂といった本質の部分を、日本人がかえりみ、その本質に立脚して、なすべきことを考え、世に問い、実行したのが、幕末・明治という時代だったともいえます。

 当時活躍したリーダーのなかで、たとえば『茶の本』で知られる岡倉天心は、日本に対する欧米人の誤認を正すべく、『日本の目覚め』という名著を、日露戦争のさなかに刊行しました。この近代戦争はおそらくは黄色人種が白色人種に勝利したはじめての戦争であり、日本人が自信をとりもどす契機となったようです。しかし同時にそれは、太平洋戦争敗戦という悲しい結末にいたる歴程の序章であったのかもしれません。

 岡倉は、インドや中国の宗教・哲学を喜んで迎え入れ、必要なものは同化し、合体統合していったのが日本であるとして、西洋の文明も喜んで修得同化するとしつつも、東洋の精神文明の再生を理想に掲げました。掲げた理想は異なりますが、松下幸之助も、日本人は“吸収消化”することに優れた民族であることを認め、その本質に立脚して行動することが日本の繁栄をすすめることになると説きました。

 今回の言葉は、そうした幸之助自身の哲学に基づくものであったといえますが、明治維新のリーダーたちの目覚めた姿のなかにも、「素直な心」を見いだすところに、幸之助らしさが深く息づいています。

学び

目覚める。そして素直に考える。

なすべきことは、かならずみえてくる。