水害が起こった。そして一つの町がすっかり流されてしまった。その隣の町はなんにも被害はなかった。こういう場合がたくさんあります。ところが十年後に、流れた町がどの程度発展するか、少しも被害のなかった町がどういうように発展するかというと、これはたいへんな違いです。流れた町が例外なしに全部発展しているのです。火事もまたそうです。火事ですっかり燃えてしまったところが全部発展している。これも例外なしです。そういう点を見ると、恵まれたと思ったところは、実は恵まれていないんですね。悲惨な状態になった町が十年先には数倍の発展をするということは、何が原因であるか。私は心の問題だと思います。物質的にはなんにも問題はない。これは復興してやらないといけないぞという人々の心の働きによって、変わってくるわけです。これは昔からたくさん実例があります。

『松下幸之助発言集1』(中小企業懇談会・1960)

解説

 この言葉は、1960(昭和35)年11月、大阪商工会議所で開かれた中小企業懇談会において、「人材確保」をテーマに話をしたときのものです。ここで幸之助は、悲惨な状態になった町が10年先に数倍の発展をするのは心の問題だ、と言い切っています。

 一介の町工場の経営者として「ないないづくし」からスタートし、松下電器(当時)が成長する過程においても、太平洋戦争敗戦という、日本にとっての最大の国難といえる惨禍を乗り越えて生き抜いてきた体験が、この言葉に説得力を持たせます。経営者としてというよりも、明治生まれの一人の日本人として、参加者に情熱的に語りかけています。

 そして幸之助はさらに、参加している中小企業経営者の一先輩として、「中小企業の強み」について訴えます。天災による悲惨な被害が、発展の基礎をなすことさえある。そうした実例からすれば、当時の中小企業が抱えていた一番の難題――「人」の問題なども、要は「考え方」次第ではないか。不況だからこそ、いまある人材を最大限生かすのだ、いま生かせていない人も生かせばいいのだと考えたなら、その実現は、人材を完全に生かして使うことがむずかしい大企業よりも、中小企業のほうが容易なはずだ、と激励の言葉を投げかけたのでした。

学び

世の中で起こることに目を向けてみれば、そこには自己変革のヒントがたくさん転がっている。目にしたこと、耳にしたことを、見たまま聞いたままにせず、その本質・核心をつかまえることができているだろうか。