今まで国難だ国難だといったときには、立ち上がるべき人が立ち上がった。そして、ともかくも国難に立ち向かってこれを打開したということですね。それでは今度はどうか、今度はそうではないのかというとね、私は今度もそうなると思うのですよ。
『憂論』(1975)
解説
当時ソニーの社長をされていた盛田昭夫氏との対談本における発言です。昭和50年当時、経済界の両巨頭の対談ということで、大きな注目を浴びました。ライバル会社でありながら、両者ともに憂国の情を共通の基盤として、対話は進んでいきます。
国家のあり方、教育のあり方、民主主義、自由経済のあり方……日本に当時噴出していた諸問題に対し、双方がお互いの体験から生まれた知恵を出し合っています。
タイトルのように、本書では「憂い」の発言が多くなるのですが、しかしそのなかでもこの言葉は、「幸之助らしさ」が垣間見えるものです。どんなに困難な状況になっても、希望を捨てない、悲観しない、人間を信じる、日本人の底力を信じる。そういう人格とも哲学ともいえるものが、この言葉に端的にあらわれています。
学び
ふとしたときの言葉にこそ、その人の「人格」があらわれる――はたして自分は、自分に関わる人々に、勇気や元気を生み出す言葉をつねに発することができているだろうか。