人間から感謝報恩という情操を取ってしまったら何が残るでしょうか。ほとんど動物と同じになる。動物でも、犬などは“三日飼われれば恩を忘れない”といわれるくらいで、餌をもらえばシッポを振る。そういう点があるからかわいいわけです。だから、感謝報恩の念を取り去ったら、人間はもう動物以下ですな。殺風景きわまりない人間ができてしまう。むしろ、なまじ知識があるから非常に危険ですね。ものを建設しない。破壊するばかりということになりますな。
『松下幸之助発言集41』(『Voice』1978年2月号)
解説
「智に過ぐれば嘘をつく」としたのは独眼竜・伊達政宗ですが、今回の松下幸之助の言葉は、教育問題について語ったものであり、行き過ぎた知識偏重の教育が、建設せずに「破壊するばかり」の人をつくってしまうと憂えての発言でした。
その幸之助は、経営の場においても“インテリの弱さ”というものを感じていました。できることよりできない理由を考える、批評ばかりしてなかなか実行に移さない……。しかしそれは、あくまで知識偏重のインテリもどきを指すのであり、ほんとうのインテリには敬意を表していた感があります。
幸之助が発意した月刊誌『PHP』の執筆陣には、当初、時代を代表する錚々たる知識人が名をつらねていましたし、最晩年に立ち上げた「世界を考える京都座会」に、コアメンバーとして招いたのは、天谷直弘、飯田経夫、石井威望、牛尾治朗、加藤寛、高坂正堯、斎藤精一郎、堺屋太一、広中平祐、山本七平、渡部昇一(敬称略)という、各界きっての実践する知識人・経営者でした。
そして幸之助がこうした教育提言をするとき、必ずといっていいほどの“但し書き”がありました。それは、こども以上にまずおとなが変わらなければならないということでした。今回の言葉の前後でも、徳育の面において、おとなの再教育が必要だと訴えています。誰もがそう思いつつも、声を上げないようなことを愚直に言い続ける執念が幸之助にはありました。世の中を少しでもよくしたいというその執念を支えていたのは、やはり自分を生かしてくれた世の中への感謝の心から生じる報恩の念だったのではないでしょうか。
学び
インテリもどきになっていないか。
知識偏重になっていないか。