君が「徳が大事である。何とかして徳を高めたい」ということを考えれば、もうそのことが徳の道に入っていると言えます。「徳というものはこういうものだ。こんなふうにやりなさい」「なら、そうします」というようなものとは違う。もっとむずかしい複雑なものです。自分で悟るしかない。その悟る過程としてこういう話をかわすことはいいわけです。「お互い徳を高め合おう。しかし、徳ってどんなもんだろう」「さあ、どんなもんかな」というところから始まっていく。人間として一番尊いものは徳である。だから、徳を高めなくてはいかん、と。技術は教えることができるし、習うこともできる。けれども、徳は教えることも習うこともできない。自分で悟るしかない。

松下政経塾 塾長講話録』(1981)

解説

 「徳」とはなにか。今回の言葉で松下幸之助は、個人の「徳」について言及していますが、国家においても「徳」を高めることが大事と説いていました。では、国家の「徳」とはなにか。国家のリーダーになることを目指す政経塾生には、いずれ答えをださなければいけない問いでしょう。

 幸之助はそれを、“国民の良識の程度、民度の高さ”だと考えました。幸之助にとっては、国の問題も、結局は個人に帰結するものだったのです。それではいま一度、「徳」とはなにか。この問いに答えるためのヒントが、『若さに贈る』という著書に記されています。

 “実力のある、徳をそなえた人に対しては、何か困ったことがあれば、一つあの人の意見をきいてみようということで、相談にくる人も少なくないと思います”。これはつまり、困ったときに自然と相談にいきたくなる人が徳のある人である、ということでしょう。直観的かつ体験的に頷ける指摘ではないでしょうか。そしてそのように具体的に考えてみると、さまざまな答えがでてきそうです。どの人にも真摯に向きあう人。信頼され、その信頼に応える力のある人。他人に誠をつくす人間力を備えている人……。

 ちなみに「人間として一番尊いものは徳である」とまでいった幸之助には、一生涯の研究テーマがありました。“人間とはなにか”ということです。それはPHP研究の根本課題でもあり、その研究はこうした「徳」とはなにかといったような、人間本来の姿を素直に把握していくことからはじめられたものでした。そして「徳」というものを自ら悟り、高めていくためには、幸之助が終生目標とした“素直な心をもつ”ことが欠かせない要件となるのです。

学び

徳を高めるには、自分で悟るしかない。