いかに名刀でありましても、使う人が当を得なければ、名刀の切れ味はありません。民主主義という立派な名刀でありましても、使う人間、使う日本人としての人間がいなかったならば、それは鈍刀にも劣るものになってしまう。

『松下幸之助発言集11』(「日本を考える青年会議」での講話・1969)

解説

 名刀を名刀にするか鈍刀以下にするか――。今回の言葉を補足するように幸之助はこう続けます。

 “どこの会社にも定款があり、ほとんど同じことが書いてある。しかし、ある会社は栄え、ある会社はうまくいかない。それは、その定款にもとづいて、いかなる理念で経営していくかということが大切で、それがはっきりしていないところに会社の発展はない”。つまりどの企業の発展も、定款という「名刀」をどう生かすかで決まってくるというのです。

 また『なぜ』(1965)という著作で、幸之助は“人間を高めないで、知識という道具だけ与えたところで、その人は成長もしないし有効に使うこともできない。結局はもてあまして、なにか誤った方向に使いかねない”として、知識を正しく使いこなす人間の育成を学校教育に強く要望しています。

 「名刀」を生かすも殺すも「使う人間」次第――。幸之助が自らの体験のなかでつかんだ人生訓であり、自戒であり、社会の繁栄を実現するための原則といってもいいでしょう。

学び

当を得た使い方をしているか。

名刀を名刀にしているか。