「企業は人なり」というとおり、企業にとって人材の育成ということは非常に重要なことである。しかし、人を育てるといっても、何がなしに会社を経営しているというような経営体では、なかなか人は育ちにくい。

 やはり、会社の目的、使命観というものがはっきりして、そこに経営の理念が打ち立てられていてはじめて、そういうものに即して人を育ててゆくことが可能になるのだと思う。国の場合も同じことで、日本の国としてりっぱな国民を育ててゆこうとすれば、国そのものの旗印というか、国家運営の基本理念をはっきり確立することが大切であろう。

思うまま』(1971)

解説

 松下幸之助が「経営の理念」を打ち立てたのはいつのことでしょうか。現在のパナソニックの綱領・信条にみえる文言は昭和21年に定められたものですが、その元になる最初の綱領・信条を幸之助が掲げたのは、昭和4年でした。その後、幸之助が自らの経営の方向性を“はっきりと転換した時期”が昭和7年、いわゆる“水道哲学”を唱え、同じ使命の下に全社一丸となったときです。さらに翌昭和8年には、全従業員が遵奉すべき5つの精神(その後、2精神が加えられた)が制定されています。

 こうした昭和1ケタの時代に打ち立てられた「経営の理念」が、その後の松下電器の成長・発展を支えました。そしてその成功体験を、今回の言葉にみられるように、幸之助は国家に応用して、さまざまに発想し、提言したのです。

 では、経営理念に「即して」人を育てるとはどういうことなのでしょうか。幸之助の番頭役であり、ミスター経営基本方針といわれた髙橋荒太郎さんの事跡を知ると、その答えがみえてきます。髙橋さんはまず経営理念の大切さを、社員がうんざりするくらい、事あるごとに説きました。そのうえでそれぞれの(とくに新規)事業の責任者に、経営理念・基本方針に即した明確な目標・課題を提示したのです。

 課題達成に当事者が懸命に努力し、創意工夫を重ねる。周囲に力を借りつつ、試行錯誤していくなかで経営理念への理解をいっそう深め、理念に即した活動ができる“自分”を自ら育てていくよう、導いていく。そうした髙橋さんの行き方こそが、幸之助が重視した「経営の理念に即してりっぱな」社員を育てるための指導方法だったといえるでしょう。

学び

理念はあるか。

その理念に即して人を育てているか。