かつての(太平洋)戦争で原子爆弾が落ちたところは、広島と長崎であった。当時の科学者たちはみな広島、長崎は今後十年間はペンペン草も生えないといった。たしかに広島市民、長崎市民は非常な死傷者を出し、史上空前の悲惨な出来ごとであったけれども、生き残った市民たちは、いま一度わが広島を建設しよう、長崎を復興しようという心意気をもって立ち上がった。ところが今日ではどうであろう。ペンペン草が生えるどころか、戦後、広島や長崎は大いに発展している。このことは何を意味するか。ペンペン草も生えないほどの大きな傷を受けても、再建しようという強固な意志があれば、立派になしとげられるものだということである。

物の見方 考え方』(1963)

解説

 この言葉は、幸之助の初期の著作で、その語り口調の文章に味わいがある『物の見方 考え方』からのものです。日本人全員が永遠に忘れてはならない歴史について、当時の広島・長崎市民の「強固な意志」を讃えつつ、「困難は大きいほど発展も大きい」「困難をチャンスにするのが人間のほんとうの姿」だということを、あわせて訴えています。

 困難に直面したときに、まず、どのような「意志」がいま必要なのかを自問自答し、しっかりと心に持つ。そしてその前向きな「意志」を原動力として、力強く行動していく。広島・長崎を復興した多くの日本人と同様の、こうした幸之助の流儀が、幸之助の成功の道を切りひらいていったのは言うまでもないことです。

 ちなみに本書のまえがきでは、こう書き記しています――「秀麗な富士の山も、見る人によって、さまざまの姿を映し出す。これをよしと見る人もあれば、悪しと見る人もあろう。見ている分ではそれでいいかもしれない。しかし日々の暮しのなかにあっては、物の受けとり方如何によって吉凶禍福、さまざまの具体的な結果が刻々に招来されてくるのである。物の見方・考え方が一番大事な所以である」。周りに起こった事象を「どう見るか」「どう受けとるか」によって、その人の人生は変わるのだ、ということを言いたかったのでしょう。

 翻って2011年3月11日、東日本大震災というまさに未曽有の大惨事を私たち日本人が体験してから、はや1年が経とうとしています。完全なる復興にはまだまだ程遠く、長い道程を歩む覚悟が必要な状況です。低迷・停滞を続ける日本経済のなかで、被災された方々の「復興」を支援していく側の一人ひとりに、いま一度、みずからの「意志」を問い直し、見つめ直すことが求められているのではないでしょうか。

学び

事あるたびに、後ろ向きに考える自分を捨て去る。

事あるたびに、前向きに考える自分を創る。