富士山は西からでも東からでも登れる。西の道が悪ければ東から登ればよい。東がけわしければ西から登ればよい。道はいくつもある。時と場合に応じて、自在に道を変えればよいのである。一つの道に執すればムリが出る。ムリを通そうとするとゆきづまる。動かない山を動かそうとするからである。そんなときは、山はそのままに身軽に自分の身体を動かせば、またそこに新しい道がひらけてくる。何ごともゆきづまれば、まず自分のものの見方を変えることである。
『道をひらく』(1968)
解説
ゆきづまればムリをせず、自在に道を変えればよい。道はいくらでもあるのだから……。この幸之助の考え方は、ときに曲解されやすいものでもあります。困難にぶつかったらすぐに撤退すればいいとか、何度か道を変更しているうちに進むべき道がみつかることもあるといった、安易な考え方としてとられかねないからです。
しかし幸之助が言いたかったのは、そのようなことではありません。命を懸けるほどの真剣な思いでその道を進む。けれどもそれが進むべき道でないとわかったなら、ムリに固執せず、新たな道をみつけ出して前進することが大切だ、ということなのです。この微妙な違いをくみとっていただくと、幸之助の言葉はより深みを増すことでしょう。
成功するためには、成功するまで続けることである――これは幸之助のもっとも知られた言葉の1つですが、その一方で代表作『人生心得帖』において、こんなことも言っています。
「いかに辛抱が大事、続けることが大事といっても、何かにとらわれて、いわゆる頑迷に陥るということであってはなりません。一つのものにとらわれるあまり、道にはずれた、自然の理に反するような方向への努力を続けていたのでは、どれほど辛抱強く取り組んだとしても、成果はあがらないでしょう」
自分の進むべき道を心に定め、自分を信じて力強く前進していく。しかし自分の信念にとらわれ、頑迷になってはいけない。そのためには、何ものにもとらわれない「素直な心」が必要になってくる。ゆきづまったら、素直な心で思い直して、そのときにみえてきた新たな道を、新たな気持ちで進んでゆく――こうした一連の思考・行動のスピードが、幾多の経験のなかで速度を増し、“経営の神様”とまで称されるような、幸之助独自の経営の「コツ」「カン」が生まれていったのではないでしょうか。
学び
理の無い道を進もうとするから、無理(ムリ)になる。理をみつけて、その理に従う道を進もうとすれば、自分の「考え方」「やり方」を変えなければならないときもあるはず。その大事なときに、「変える」ことができる人間になれているだろうか。