人間はしばしば困難に直面することもあり、事、志とたがう場合もありますが、そういう場合でも志を失わなければ、必ずやそれが転機となってプラスになっていくものだということを私はしみじみと感じます。 

一日本人としての私のねがい』(1968)    

解説

 過去の経営体験を回想しての言葉です。その体験とは、松下電器(現パナソニック)が、販売会社、代理店の社長を熱海に招き、会合を開いたときのこと、世にいう「熱海会談」です。松下電器、いや幸之助が体験した経営危機のなかでも、もっとも重大な局面の一つであり、この危機を乗り越えることで、以後の松下の飛躍・発展があったといっても過言でないほどの「場」であり「時」でした。

 当時はというと、日本の電機業界が混乱し、しかも不況に突入していました。松下電器もその波にのみ込まれており、多くの販売会社や代理店が厳しい経営状況に陥っていました。そうしたなかで膨れ上がった危機感、不満感、不信感が、熱海という場で、ついに爆発したのです。お互いがお互いの言い分を2日間吐き出し続け、幸之助も計13時間、壇上に立ち続けました。販売の不振は「メーカーの責任」という側と、自主独立の精神をもった販売会社、代理店は利益をあげているとして、「販売側にも責任がある」と指摘する側。泥沼化する危険もあったなか、最後の30分になったところで、幸之助は感極まり、涙しながら結論を出します。それは「結局は、松下電器が悪うございました」という言葉でした。この謝罪が、「場」を一瞬にして変えたようです。そしてお互いが反省しあい、協力を誓いあい、その後の改革も急速に進むことになったのです。

 志さえ失わなければ「困難が転機となりプラスとなる」という考え方は、幸之助のこうした「体験」から生まれてきたものです。けっして「頭」で考えた言葉ではありません。体験からくる言葉には説得力があり、迫力があります。その言葉が、真理であり、真実だからでしょう。いたってシンプルな言葉ですが、真理をいうのに多弁を弄する必要はないのです。 

学び

意欲たくましく前進すれば、いずれ「困難」があらわれる。

その難関を乗り越えるために、「志」が必要になる。