私自身も、自分はこの仕事に命をかけてやっているかどうかと、これまで困難な問題に出くわすたびに自問自答してきました。そうすると、非常に煩悶の多いときに感じることは、命をかけるようなところがどうもなかったように思われるのです。だから煩悶が起こってきているように思われるのです。つまり、「自分は困難に直面して、命をかけて仕事をしていなかった。楽をしていこうと考えていた。そこにこの煩悶があるのだ」こう感じたわけです。それで、心を入れかえてその困難に向かっていきました。そうすると、そこに勇気が湧き、困難も困難とならず、新しい創意工夫も次つぎと起こってきたのです。

道は無限にある』(1975) 

解説

 「命をかける」という言葉は、昨今の日本ではもう死語でしょうか。いや、その思いは、日本人の血に脈々と受け継がれているはずです。松下幸之助は、そう固く信じていました。幸之助は『日本と日本人について』という本を、PHP研究の成果として1982年に発刊しましたが、自身の日本人観を高め、深めていく知的作業を常にしていて、ほかの著作や講演などでも、日本人論をよく記し、よく語りました。

 自分の使命や任務に命をかける、大義に殉じるという生き方は、多くの日本人の情緒を揺さぶるものであり、いまでも数え切れないほどの歴史上の美談が伝え残されています。戦前生まれの幸之助が、そうした歴史に一日本人として感奮するところがあったのは間違いありません。しかも生来健康に恵まれなかった幸之助は、病床から経営上の指示・判断を下すといったように、文字通り命をかけて仕事をせざるを得ないこともありました。1960年代に入院していた松下病院からは、生駒の連山が見えたといいます。その山の美しさが、体調を崩した自分の身に沁みた。その山々の姿が、春霞にうっすらにじんで、墨絵のような趣があり、日本の山の美しさを再認識したと、松下電器の社内誌に記しています。いいときも悪いときも、日本とともに生きていることを強く実感していたようです。

 自分は日本人。仕事に命をかける血が流れている。幸之助のように、そう考えて、日々の仕事にぶつかってみれば、案外、迷いや悩みや煩悶は退散してくれるものなのかもしれません。日本という美しい国の姿に思いを寄せ、日本というふるさとを愛する。そうした人のなかから、窮境にあるいまの日本を、命をかけて救おうとする人が必ず出てくる――幸之助が心から願っていたことです。 

学び

命をかけるほどの思いは、あっただろうか。

言い訳ばかりで、逃げていなかっただろうか。