いずれのときにも、身を切られるような思いに悩みつつも勇気を鼓舞してやっていく。崩れそうになる自分を自分で叱りつけて必死でがんばる。そうすればそこに知恵、才覚というものが必ず浮かんでくるものです。もし自分に知恵がなければ、先輩にきくとか、あるいは同業の競争相手にもきく。「弱っているんだが、なんとかいい方法はないか」と、そこまで腹を割って相談すれば、競争相手であっても知恵を授けてくれることもあります。私自身、これまでそうやって道をつけてきたように思います。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』(1980)
解説
自分に厳しくあることが道を切りひらくにはどうしても必要。そう感じざるを得ないと同時に、徹底した“人間信頼”の姿勢が、松下幸之助の全仕事・行動の基軸にあったことを、今回の言葉から窺い知ることができます。
1918年に松下電気器具製作所を開設した幸之助は、商品開発とともに販路開拓にもずいぶんと苦労しました。ゼロからのスタートなのですから当然といえば当然ですが、商品の値決めにはとくに困ったようで、取引相手の問屋に、原価を素直に伝えて、そのうえにいくら利益をのせるのだとか、相場から考えてこの価格なのだといったような値決めの仕方まで教わったと楽しそうに述懐する音声記録も残っています。業界の先輩である問屋のほうも、商売である以上、利幅を少しでも増やしたいところでしょうが、腹を割って必死に相談してくる幸之助に対し、自然と親身になり教えてしまう――それが人情というものなのでしょう。そしてこうした経験の積み重ねによって、「人間は信頼に値するもの」「人間はえらいもの」「世間は神のごとき正しい判断をする」、さらには、多くの意見を取り入れ吸収し最高の知恵を生み出す、つまり「衆知を集める」といった幸之助ならではの、ものの見方・考え方が生まれてきたのかもしれません。
こんなエピソードもあります。幸之助に直接指導を受けたある人物が、社内報を編集制作していた若手時代のことです。当時の経営の場において頻繁に使われるようになったカタカナ用語が、幸之助にはわからないものが多かったようで、その若手社員に、最近よく使われるカタカナ用語を一覧にして教えてくれと頼んだことがあったそうです。自分の欠点をさらけ出し、大きく年の離れた若者にも教えてもらおうとする真摯な姿勢に接して、その社員はいたく感動し、“この会社と絶対に離れない”と心に決めたといいます。そして後日、役員となって、松下電器の発展に大いに貢献しました。
権威が落ちるのでは、馬鹿にされるのでは、といったことに汲々として部下の衆知を集めることができず、組織をスポイルしてしまう責任者のほうが、じつは陰で馬鹿にされ、信頼もされていない。どの組織にも見られる光景ですが、そうした姿とは無縁だった幸之助の行き方は、幸之助の人生経験なくして生まれなかったものなのかもしれません。わからないことは、人に謙虚に尋ねる。素直に聞く。簡単なようで難しく、案外勇気のいることです。しかしどうしても成功したいという熱意があれば、その勇気は自然と生まれてくる――。こうした姿勢こそが幸之助の生き方の根幹部分といえるものであり、木に譬えるなら、根っこの部分といえるでしょう。大暴風雨などもろともせず、太陽の光が差してくる方向へと日々成長していくことを使命としたその木は、大地(世間)から豊饒なる恵みを授かって、次第に根を広げ、やがて大樹となり、豊かな果実を実らせたのです。
学び
勇気にもいろいろある。明るい未来に突き進むための勇気。
苦しいときに歯を食いしばり前進するための勇気。そして人に教えを請う勇気――。