日本に国運がなかりせば、どんなに国民が努力いたしましても、しょせんはダメだということになろうかと思います。しかし、私は日本の二千数百年のこの伝統を顧みてみますと、いろいろ困難な時代を通ってきておりますが、その過程を静かに観察しますと、日本の国運は不思議に強いものがあるというような感じがするのです。まさにつぶれんとしてつぶれない、不思議に国運は隆盛であるという感じがするのであります。

『松下幸之助発言集31』(「松下相談役に対する感謝の会」の場にて・1973)

解説

 “神州不滅”“神風”“神国”といった言葉が、かつて日本に存在しました。教科書にでてくる蒙古襲来や黒船来航、日露戦争など、過去幾多の国難を乗りこえた歴史の中で使われた言葉であり、太平洋戦争以前の日本人にとって(もちろん松下幸之助にとっても)、みずからの誇りを高揚するものであったはずです。しかし敗戦という事実により、その誇りは傷つけられることとなりました。誇りが自尊となり、過信となり、錯覚となったとき、その誇りは自滅を演出する。それはなにも国家だけでなく、企業においても、一個人においてもみられることでしょう。

 それから半世紀以上の歳月が流れ、日本は見事な経済復興を果たしました。しかし精神面では、靖国問題などいまも深い傷跡を残す太平洋戦争という歴史。幸之助は、“戦争前は、日本は神国であるというようなことで、非常に思いあがった点もあった”、“戦争に対して責任を負うべきは明治生れの人間だ”などと反省と自戒の意を示してもいます。けれども罪の意識にとらわれすぎて、日本人がみずからを卑下し、貶めていくようではいけない。日本人の特質を正しく認識し、反省すべきは反省し、誇るべきは誇り、力強く行動していくことが真の復興につながると考えて、精力的に言論活動を展開しました。今回の「日本の国運は不思議に強いものがある」という興味深い表現も、そうした中で生まれてきたものなのです。

 そして愛国者として、言論人としての幸之助の発言をさらにみていくと、もう一つ興味深い表現をみつけることができます。それは“謙虚な誇り”という言葉です。謙虚な誇りを日本人はいつまでも残し、高めていかなければならないと幸之助はいっています。文字面だけみれば矛盾を感じる言葉です。大胆にして細心とはいいますが、謙虚に誇るとはいったいどういうことでしょう。しかしそれは日本の古きよき美徳を思い起こし、静かに「日本人」を観察すれば、おのずとみえてくるはずです。

 謙虚にみえるのだけれども、言動の節々にどこかしら人間としての尊厳が保たれている。みずからの生き方を他人に誇らないが、自分を信じて強く生きている――。各々の生き方の理想に違いがあって当然ですが、日本人としての最低限の共通意識もあるべきです。幸之助がいう謙虚な誇りはその共通意識の一つと考えていいものではないでしょうか。そして「日本の国運は不思議に強い」という国家観も、後に続く人々を励ましていくうえで、欠かせない共通意識としていいのではないでしょうか。 

学び

運命を信じ、誇りをもつ。

されどその誇りを過信せず、謙虚に誇って生きる。。 松下幸之助”といえる今回の言葉の中の「心を定め」るという表現を、幸之助は好んで使いました。人間の心というものについて並々ならぬ関心をもっており、別の著作には、心の“違いを見る顕微鏡というものがあったとしたら……”といった記述もあるほどです。また、幸之助にとって繁栄とは物質・精神の両面の繁栄、すなわち物心一如の繁栄を意味しました。幸之助の、この心に対する強い探究心と独自の認識は無限の広がりをみせ、ついには、宇宙には科学によって発見されるような物的な法則があるとともに、心的な法則も存在するはずとして、みずからの思索、PHP研究の対閑話休題、人間の心を、孫悟空の如意棒のように融通無碍で伸縮自在の心を、進むべき方向にぐいと伸ばしていけるよう安定させる。幸之助が心を定めるというときには、そうした意味合いが深層にあります。仏教用語に“三昧(ざんまい)”という言葉があって、精神統一ができた、心の安定した状態になることをいいますが、それと近似した状態になることと理解してもいいでしょう。実際に幸之助は、自身のモットーであるえず素直になるということを念頭におき、それを口に出して唱えるわけです。仏教においては、〝念仏三昧〟というようなこともいうそうですが、この場合はいわば〝素直三昧〟というようなことにもなるでしょう。しかもそれは、自分一人でも素直三昧をすると同時に、互いにそういう姿を生み出していくわけです。そういう素直三昧迦さまのように、悟りを得ることに一生心を定めて生きることなどは、凡人には実践も想像もしがたいことですが、素直になるという一点に集中し、お互いがどんなときも素直な心で考え、行動するということに心を定めるのなら、なんとかとり組めそうな気がする――。幸之助の“素直な心になりましょう”という世の人への提唱は、そうした意味でいまも多くの人をひきつけているのでしょう。そして、いついかなる