“国破れて山河あり”という言葉があります。たとえ国が滅んでも自然の山河は変わらないという意味ですが、山河は、またわれわれのふるさとという意味です。歴史に幾変転はあっても、人の、ふるさとを想う心には変わることがありません。同じように、この国に祖先が培ってきた伝統の精神も、流転興亡を貫いて変わらないのが本当の姿です。そして人間精神といい国民精神というのも、ひとしくお互い人間の基本的な心がまえであると考えます。何よりも明らかなことは、われわれが日本という尊いふるさとをもった国民であるということです。これを自覚し、これを誇りとする心が、あらゆる面の活動の基本なのです。そこに初めて、お互いに納得のいく働きが起こり、心と物の二つながらの再建が行なわれると考えるのです。
『わが経営を語る』(1977)
解説
「尊い」という言葉を、松下幸之助はよく使いました。たとえば“生産者の尊い使命を遂行”といった表現です。あるいは社員に対し、みなさんの仕事は“尊い仕事”だとくり返し訴え、各々が誇りをもって仕事をすることを期待し、強く要求しました。
自分の仕事の尊さ、そしてその仕事に従事する自分という存在の尊さを知ったとき、人は限りない力を発揮する。そのことを、幸之助はみずからの商売・経営において幾度となく実感したのでしょう。『指導者の条件』という著作では、吉田松陰の人間教育をとりあげて賞賛しつつ、“指導者が人を育てるにあたって、知識より何よりも、まず人間の尊厳を教えることが大切なのだ”と記しています。
今回の言葉は、ごく自然な意味での愛国者であった幸之助ならではのものでもありますが、幸之助がこの言葉に託した「心と物の再建」を、現在の日本は実現できないままでいます。多くの日本人による幾重の努力によって、物の面では成長・発展が続いているものの、心はというと、その再建は果たされないままです。昨今のいじめ問題などはいっこうに改善の気配をみせず、学校教育そのものが大きく揺らいでいます。国旗を掲揚することの義務化だけでも、大阪の教育現場が大騒動になったのは記憶に新しいところですが、よき愛国心を育むことにも障害があるのが、いまの日本の現実なのです。
また海外に目を向けると、隣国とは領土問題での衝突がいまだ絶えない状況です。お互いの歴史認識であるこの難題にいかにして臨むべきか。それにはまず、幸之助が望んだように、国家全体としての最低限の共通意識・心がまえ、いわば国是といったものが、各々の思想・哲学・信条を超えて必要になることでしょう。そしてこの国をあるべき姿にしていくためにも、国民全員が、そろそろ真剣になって、幸之助のいう「尊いふるさとを自覚し、誇りとする」ことに目覚めるときがきているのではないでしょうか。
学び
ふるさとは尊いものである。
その自覚が、みずからの生き方を高めることにもなる。