春があって夏があって、秋があって冬があって、日本はよい国である。自然だけではない。長い歴史に育まれた数多くの精神的遺産がある。その上に、勤勉にして誠実な国民性。日本はよい国である。こんなよい国は、世界にもあまりない。だから、このよい国をさらによくして、みんなが仲よく、身も心もゆたかに暮らしたい。

『四季のことば』(1959) 

解説

 今回の言葉が書かれた時代、「勤勉にして誠実な国民性」という表現は妥当なものだったでしょう。では、いまの日本はどうか。3・11以後、日本人のよさが見直されることになったと、マスコミはさまざまな媒体で喧伝しました。

 それは国内の沈滞ムードをとりはらうに必要だったのであり、少なからず効果がありました。しかし時局を冷静に顧みれば、3・11以前、勤勉さや誠実さといった日本人のよさがみえにくくなっていたことを露見させるものでもあったのではないでしょうか。

 『勤勉の哲学』(1979)という日本人論があります。幸之助、そして弊社と縁が深かった著者の山本七平氏(故人)は、同書で日本人がなぜ「勤勉」に働くのか、その行動原理について究明しようとしました。江戸時代以後、それほどに、日本人は勤勉でした。戦後の復興もこの国民的資質なしにはありえなかったのであり、幸之助もまた「勤勉」な日本人の系譜を継ぐ一人でした。

 幸之助の仕事観を端的にあらわす言葉があります。“仕事は無限にある”です。「勤勉」の精神なくして、こうした言葉を発想することなどできなかったでしょう。新卒の就職率悪化、ニートやフリーターの増殖等、“仕事は有限”という現実が時代の表面を覆っても、よくよくみつめ直せば、仕事がないわけではないのです。“ないのではない、創ろうとしていないのだ!”という幸之助の叱咤が聞こえてきそうです。

 結局、仕事を創るのは人であり、創りだされた仕事が雇用を創出し、ひいては社会への貢献となる――。そのことに「勤勉」かつ「誠実」にとり組む人がいるかぎり、“仕事は無限”なのです。就職・雇用難へのセーフティネット機能の向上は、たしかに政治の仕事かもしれません。しかしそれは同時に国民一人ひとりの仕事でもあります。

 「みんなが仲よく、身も心もゆたかに」暮らせる共存共栄の社会、つまりは「よい国」を創るために、自分はどんな仕事(=雇用)を創りだせるのか、いま一度、問い直してみたいものです。 

学び

よい国をさらによくするために、「勤勉にして誠実な国民性」を失ってはならない。