今はまだ迷ったらいい。迷いに迷って、骨と皮になるというくらいに迷っていてもいいわけや。次々にサラサラとうまくいくと、苦労のしがいがないものや(笑)。だから、迷えば迷うほどに偉大なものが生まれる。そやけど迷わんでもいいことを迷ったらあかん。それと、自分の感情にとらわれたらあかん。素直な心がなかったら、そうなってしまう。そのことをよう考えてやらないといかんな。

リーダーになる人に知っておいてほしいこと』(1980)

解説

 今回の言葉は、松下政経塾に集う若き塾生に語られたものです。「骨と皮になるというくらいに迷っていてもいい」と聞くと、幸之助ファンの方ならば“血の小便”のエピソードを思い出されることでしょう。松下電器の販売会社で、赤字に悩み、迷い、その窮状を訴えた店主に対し幸之助が言い放った“小便が赤くなるほど心配されたことがありますか”という叱咤激励。しかと受けとめた店主は心あらため、経営再建にとり組み、進むべき道を見いだしたという実話です。

 故事成語にある“寛而見畏、厳而見愛(寛にして畏れられ、厳にして愛せらる)”はよくリーダーの条件とされますが、幸之助にはそうした側面があったのでしょう。店主の不満を真摯に受けとめる寛容さが幸之助になければ、叱咤の言葉を投げかけることもなかったでしょう。その店主への厳しさが、愛情に裏打ちされたものでなければ、店主が現実に目覚めることもなかったかもしれません。しかしなによりも店主が、素直な心で幸之助の叱咤を受けとめ、受け入れなかったなら、事態に変化は生まれなかったでしょう。

 今回の言葉で幸之助が締めくくっているように、難局打開にはやはり素直な心が必要なのです。迷うべきことと迷わざるべきことを見極める。その見極めに素直な心で向き合うことで、なすべきことはみえてくる。人生の真理を、幸之助はさりげなく当時の塾生に伝えていたのです。

 そしてこの素直な心は、幸之助がライフワークとしたPHP活動のスローガンでもありました。“素直な心になりましょう。素直な心はあなたを強く正しく聡明にします”――この言葉が生まれたのは、素直な心をもつことで、迷い・悩みも人生の糧となるという幸之助の経験知があったからなのかもしれません。 

学び

迷わないでいいことも、迷っていないか。

素直な心で、自分に、問いただしてみる。