きょうはこれが最善だと思っていることでも、考え方によればまだまだ他に道があるかもしれないのである。ところが、これはこんなものだろう、これでいいのだろう、ということでみずから限界をつくってしまえば、一歩も進歩することはできないと思う。
『その心意気やよし』(1971)
解説
今回の言葉は、松下幸之助の哲学そのものです。幸之助の人間観が即、この言葉に息づいています。長くなりますが、以下に、その人間観を端的にあらわした文章を、『人間を考える』(1975)より、そのままご紹介します。
「人間の進歩発展には一定の限界があるのでしょうか。決してそうではないと思います。この宇宙に働く自然の理法は、限りない生成発展ということなのです。そして、人間はその宇宙の生成発展に即して絶えず向上し続けうる、すぐれた本質を与えられているのです。
今日の段階は、人間はまだようやく長久なる自己の使命達成のための、入り口にたどりついたにすぎないような状態にあるわけです。過去現在における人間の現実の姿には、そうした偉大な本質が素直に発揮されていない面が少なからずあります。そして、それは過去においては、万物にすぐれた人間の天命が、まだ人間自身に十分自覚認識されていなかったからなのです。
長久なる人間の使命は、素直な心をもってその天命を逐次高度に自覚していくとともに、個々の知恵を高め衆知を集めつつ、その本質を刻一刻と実現させ、これを人間の共同生活の上にも、万物いっさいの上にも及ぼしていくところにあるのです。その使命を知ったところから道が始まります。その意味において、これから第一歩を踏み出すがごとき状態に、人間は今あるのだともいえましょう。
道はまことに遠く、はるかなものがあります。個々の人間の一代や二代で到達できるものではありません。というよりも、これは永遠に続くものであるとも考えられます。しかし幸いなことに、人間は今日、先哲諸聖をはじめ多くの先人の教え導きを通じて、長久なるみずからの使命とはどのようなものであるかを知ることができたと思うのです。そういうことを考えると、これは人間にとって非常に大きな進歩であるといわなくてはならないでしょう」
いかがでしょうか。人間の「進歩」に「限界」はない――幸之助はそう信じて、みずからに「限界」をつくらず、「進歩」し続けていったのです。
学び
できるものを、簡単にあきらめていないか。
勝手に限界をつくっていないか。