百花繚乱というのは自然本来の姿なのですな。野に草花が咲き乱れている。その花々はタンポポはタンポポで、スミレはスミレで自分というものを咲き誇っていますよ。そして全体が生き生きと調和している。それでいいのですね。人間はともすれば何かにとらわれてその自然本来の姿を忘れてしまう。そこに不幸が生まれてくるのではないでしょうか。お互いに、みずからの持ち味を生かした人生なり生活を送ることが大事で、そこに人間としての成功の姿があるということにいま一度思いを致したいものだと思いますね。
『人生談義』(1990)
解説
人間が「百花繚乱」の姿を生み出すことは非常に難事です。人間の歴史は戦争の歴史だとよくいわれますが、それほどに、真に「調和」することは困難の業です。普通に考えれば、お互いが「みずからの持ち味を生か」そうとすればするほど、競合・対立が激しくなり、共存し共栄することが難しくなるからです。そしてそうした人間と人間社会の性質を、幸之助がもちろん知らなかったはずがありません。
太平洋戦争敗戦後のことです。日本国内では急速な民主化により、労働組合が次々と結成され、松下電器でも、労組が1946年1月30日に結成大会をおこなうことになります。政治・経済面だけでなく経営面においても、日本はまさに激動の混乱期でした。多くの経営者が排斥されるのを恐れていたその時代に、経営者・松下幸之助は、大会に出、しかも祝辞を述べることを希望します。
会も終わりに近づき、そのことが告げられると、最初はヤジさえ飛んだといいます。その間に四股を踏み、乾坤一擲、壇上で語りはじめた幸之助の声に、会場はいつのまにか静かになり、さらに“労働組合の結成を喜ぶ。正しい経営と正しい組合は必ずや一致する”といった幸之助の言葉が、会場を埋めつくした組合員の心に次第に届いていきます。ついには拍手喝采まで浴びるという伝説的なシーンがここで生まれました。
その幸之助がGHQに財閥家族の指定をうけ、公職追放されそうになったとき、追放除外嘆願運動に力を尽くしたのは、なんと労働組合でした。93%の組合員署名があったといいます。普通なら対立すべき両者が見事に調和する姿がそこにありました。そしてそれからの幸之助は、松下電器という会社で労使がお互いに「みずからの持ち味を生かし」て「調和」する姿を実現し、その上で、社員一人ひとり、つまり「全体が生き生きと調和」して「百花繚乱」の姿を生み出すための経営努力を日々積み重ねていくことになります。今回の言葉も、そうした幸之助の幾重の体験と深くつながっているものなのです。
学び
みずからの持ち味をよく知り、それを生かす。
そのうえで「百花繚乱」を実現する。