行けども行けども果てしないものが人生だなという感じがいたします。多少の苦難を味わいつつ歩んで希望をもっているあいだが、ほんとうの人生である。そこにほんとうの味わいがある。行き着くということは、おしまいであるということです。

『松下幸之助発言集11』(全国杉の子連合会での講演・1965) 

解説

 松下幸之助にとって、人生とともに経営も、限りなきものであり、「果てしない」ものでした。そしてその信念の発露として、幸之助は「経営は生きた総合芸術である」という言葉を残しました。

 

「経営は芸術であるといっても、それは絵画であるとか、彫刻であるといったように一つの独立したものでなく、いわば、その中に絵画もあれば彫刻もある、音楽もあれば文学もあるといったように、さまざまな分野を網羅した総合芸術であると見ることもできる。しかも経営というものは絶えず変化している。経営をとりまく社会情勢、経済情勢は時々刻々にうつり変わっていく。その変化に即応し、それに一歩先んじて次々と手を打っていくことが必要なわけである。だから、たとえば絵画のように、描き終えたら一枚の絵が完成するというのとは趣を異にしている。いわば経営には完成ということがないのであって、絶えず生成発展していくものであり、その過程自体が一つの芸術作品だともいえよう。そういう意味において、経営は生きた総合芸術であるともいえる。もっとも、だからといって経営をもって他の芸術より高しとするのではない。芸術というものは人間の情操をゆたかにし、人間精神を高めるきわめて尊いものであることはいうまでもない。ただ私が言いたいのは、経営もそれに匹敵する高い価値を持つものであるということである。(中略)

 芸術作品といってもいいような、見る人をして感嘆せしめるような素晴らしい内容の経営もあれば、駄作といってもいいような成果のあがらない経営もある。だから、経営は生きた総合芸術だとはいっても、すべての経営がその名に値するわけではない。工場の施設なり、できあがってくる製品、その販売の仕方、さらには人の育て方、生かし方、財務内容など一つ一つがきわめて立派であり、それらを総合した経営自体に、その企業の精神というか経営理念が生き生きと躍動している、そのような経営であって、はじめて芸術といえるのである。(中略)

 経営は生きた総合芸術である。そういう経営の高い価値をしっかり認識し、その価値ある仕事にたずさわっている誇りを持ち、それに値するよう最大の努力をしていくことが経営者にとって求められているのである」

 

 いかがでしょうか。幸之助の『実践経営哲学』という著書からのものです。いまの厳しく困難な時代の中で、真剣に奮闘されている経営者・リーダーの方々には、士気が鼓舞され、かつ心に深く沁みる言葉ではないでしょうか。 

学び

人生は、果てしない。

経営も仕事も限りなく、果てしない。