たとえば松がより松らしくなっていくことにそのよさがあるごとく、日本人はあくまでも日本人としてより立派に生きるよう、将来に向かって努力を続けていかなければならないと思う。 

『松下幸之助発言集39』(『PHP』1965年7月号)

解説

 松(下幸之助)は松(下幸之助)らしく、松(下電器)はより松(下電器)らしく、と読めそうな言葉です。いまの企業にとって、“らしさ”を創り、「らしく」あり続けることは、経営の成長・発展・持続を左右する鍵となっています。逆にいえば、“らしさ”を消費者にPRできなくなったとき、その企業の寿命が見えてくるのかもしれません。実際、芸術家や音楽家、スポーツ選手といったプロの世界では、それがすべてといっても言い過ぎではないでしょう。

 では“らしさ”をどう知ればいいか。それにはやはり、前(54)回コラムで述べたように、自己を日々観照し、自己認識を地道に高めていくほかないのでしょう。そして今回の言葉は、自己認識を高めるための、日本人にとって非常に重要な示唆を与えてくれています。

 それは幸之助自身が実践したことであり、「あくまでも日本人」であると強く自覚することです。幸い日本人は、先祖の“おかげ”で連綿と続いてきた悠久の歴史から、「日本人」であるというアイデンティティを授けられています。その恵みに感謝し、生かそうとしないのは、過去への非礼であり、“もったいない”ことでもあります。

 汝自身を知れ! といった古代ギリシアの時代から、人間は、人間という存在を知ることに努めてきました。自分とは、日本人とは、そして人間とは、と幸之助も問い続けました。その哲学に垣間見える幸之助“らしさ”とはなにかといえば、どうしたら一人ひとりが「立派に生きる」ことができるのか、どうしたらともに栄えることができるのか、という思考軸のもと、人間という存在を見、考え抜いたということになるのでしょう。

学び

「自分らしさ」とはなにか。

「日本人らしさ」とは。「人間らしさ」とは。