よく、信長は「鳴かずんば殺してしまえホトトギス」、秀吉は「鳴かずんば鳴かしてみせようホトトギス」、家康は「鳴かずんば鳴くまでまとうホトトギス」だといわれますね。これらは、三人が詠んだものか、あるいは後世の人が、三人の特徴を端的に表現するために作ったものなのかは知りませんが、それぞれ、鳴くということを期待しているから出てくることばです。つまり、鳴くということに皆こだわっていると思うのですよ。ぼくはね、何ごとでも、何かにこだわっていたら、うまくいかないと思っています。だから、ぼくならこういう態度でありたいですね。「鳴かずんばそれもまたよしホトトギス」。つまり、自然の姿でいこうというわけですよ。なかなかむずかしいことですがね。
『人生談義』(1990)
解説
信長と秀吉と家康。3人の武将がほんとうにこれらの句を詠んだのかは定かでありませんが、それにしても現代人がそれぞれに抱くイメージを巧みに表現したものだといえるでしょう。そして「鳴かずんばそれもまたよしホトトギス」も、松下幸之助の行き方を的確にあらわす句です。幸之助いわく「なかなかむずかしい」とは、「こういう態度でありたい」と、日頃から強く意識し実行していたから言えることでしょう。
ホトトギスが鳴くことにこだわるのでなく、鳴くも鳴かないもよしとする。あるがままに認める。そうした境地に到達するための心が“素直な心”であるという結論に達した幸之助は、その涵養の必要性を広く世の人にも説いたのです。
さらに付言すれば、こうした思考・哲学とその実践は、PHP研究によって礎が築かれ、漸次養い高められていきました。鳴くも鳴かぬも「自然の姿」。では自然の姿とは何かといえば、幸之助にとって宇宙の真理であり、その真理に順応して生きることで人間はより幸せになれると信じていました。
この幸之助をかつてこんな風に評した人がいます。“彼はすぐれた産業人であったが、産業に埋没することはなかった。彼は大衆の味方であったが、大衆に雷同はしなかった。彼は時流に身を投じて泳いだが、常に流れから顔を上げるようにつとめていた”。幸之助がなにか常識的な認識を超えた原理・原則に則って、みずからの人生を歩んでいることをはっきりと認めていたその人物は、生前の幸之助と親交があった天谷直弘氏(故人・元電通総研所長)でした。
学び
ホトトギスはホトトギス。
鳴いても鳴かなくてもホトトギス。