PHP活動で、最初に映画が上映されたのは、昭和22(1947)年3月8日、大阪市の毎日会館で開催された、大阪府下婦人友の会結成大会でした(当欄第3回参照)。当時は、CIE(Civil Information and Education Section・民間情報教育局)が日本の民主主義化をはかるため、「アメリカ文化映画」を無償で貸し出しており、PHP活動でもこの映画がしばしば使用されています。

 

 翌昭和23(1948)年4月21日、PHP研究所所員は「大阪府社会教育委員課」において担当者と面会し、「PHP運動に対する協力方を積極的に求むべく、特に映画指導につき懇談」したという記録があり(友の会本部日誌)、大阪府の担当者を経由してCIE映画を借り受けようとしました。この懇談の結果、同年9月23日、第8回PHP定例研究講座では、松下幸之助による「PHPのことば」の解説と質疑応答のあと、CIEから供給された映画が上映されています。

 その後も、PHP定例研究講座では、以下の映画が上映されました。幸之助の話と映画の内容は必ずしも関連がなく、そのつど借り受けた映画を定例研究講座の最後に上映していたようです。

 

PHP定例研究講座における映画上映一覧(記録のあるもののみ)

PHP定例研究講座における映画上映一覧

 

 また、昭和24(1949)年2月24日、「大阪府視覚教育協会」と「大阪府教育委員会」が共催した「アメリカ映画を見る会」が、大阪市の大手前会館で開かれ、幸之助も出席しました。幸之助は「視覚教育の重要性を説き、アメリカ文化を学び共に文化国家の建設をせん」と述べ、「大阪府視覚教育協会々長」に就任しています(友の会本部日誌)。