明治元(1868)年5月10日、若くして命を落とした幕末の志士549柱の霊を祀るよう、明治天皇よりご沙汰があり、最初の官祭招魂社(現京都霊山護国神社)が建立されました。志士の墓なども整備されましたが、昭和36(1961)年9月の第2室戸台風により、付近一帯は甚大な被害を受け、しばらく放置されていたということです。

 明治改元満百年の年になる昭和43(1968)年7月29日、一帯の復興を願って霊山顕彰会が発足し、松下幸之助が初代会長に就任しています。同年8月17日に真々庵で行われた数学者の岡潔氏との対談をきっかけに、幸之助は幕末の志士によりいっそう関心を持つようになりました。


 京都霊山護国神社の参道には幸之助の揮毫で「維新の道」と刻まれた石碑が建てられました(写真)。歴史館には、幕末維新の資料収集家であった熊谷康次郎氏のコレクションが納められています。


 昭和50(1975)年12月8日をもって霊山顕彰会は、財団法人として認可されました。機関誌『維新の道』が翌昭和51(1976)年5月10日に創刊され、幸之助は誌面で改めて熊谷氏と対談を行なっています。幸之助は、「明治維新のことを考えると、今日こそ昭和維新の時代にせねばならんということを痛感します」と述べ、歴史館は特に若い人に見てもらいたいと述べました。


 幸之助は昭和57(1982)年まで霊山顕彰会会長を務めました。