これまで法治国家は先進国といわれてきた。しかし、これは決して最上のものではなく、進歩の1つの過程である。「法三章」で繁栄する良識国家こそ、我々が目指すべき、さらに進んだ姿である。
法治国家は中進国
発表媒体
『Voice』1979年8月号 「二十一世紀をめざして」
内容抄録
私の方はアメリカに現地の会社が二つあります。一つは二千五百人ほどの製造会社、もう一つは販売専門の会社です。ところがこの間、そこを訪れて驚いたのですが、そのどちらにも社員としての弁護士が四人ずついるのです。
日本の本社の方は何万人も社員がいますけれど、そういう人は一人もいません。顧問弁護士はお願いしていますが、それで事足りているわけです。それが、人数もはるかに少ないアメリカの子会社には四人もいる。
私は疑問に思って、向こうの責任者の人に、「どうしてこんなに四人も弁護士がいるんだ」と聞いたのです。そうすると結局アメリカでは、極端にいうと、伝票一枚でもいちいち法律的に問題ないかをチェックしておかないと、いつ、何で損害賠償を訴えられるかわからないというのです。だから、そのためにそれだけの人が必要だということです。
これまでわれわれは、法治国家というのは先進国であると教えられ、またそう考えてきました。実際、独裁者の一存ですべてがきまるとか、武力が支配するといった姿からすれば、法律に基づいて、平等に同じ権利と義務とを負う状態は、一歩進んだ姿であることは事実でしょう。だから、法治国家にはそれなりの好ましい面はあるし、そこにおいてお互いが定められた法律をしっかり守ることが大切なのはいうまでもありません。
しかし、そういう法治国家が人間社会の究極的な姿かというと、そうとは考えられない。やはり、これは一つの進歩の過程だと思うのですね。現に法治国家の典型ともいうべきアメリカが、もう法律でがんじがらめになり、すべてが非常に煩雑になって、そのことの弊害の方が目立ってきています。最近のアメリカの停滞の大きな原因はそこにあると思うのです。
だから、法治国家というのは、決して後進国ではないけれど、かといって先進国でもない。いわば中進国だというわけです。要するに、法律によって国家社会の秩序を保っているという国はみな中進国と考えてはどうかということです。文化国家というような観点から、こういう定義をしてみたら面白いのではないかと思うのです。