世界の混迷、混乱は強力なリーダー不在から起こっている。21世紀へ向けて、わが国はリーダー国アメリカを支えつつ、世界の国々の利害を調整する、「調整国家」 「大番頭国家」をめざすべきである。
“大番頭国家日本”をめざす
発表媒体
『Voice』1984年1月号 「二十一世紀の日本への提言」
内容抄録
私は、アメリカを支える役割を果すべきサブ・リーダーとしての先進諸国の中でも、特に日本の役割が、きわめて重要だと思います。
世界大戦で、完膚なきまでに破壊され、荒廃の極に至った国土から、日本はこの三十数年の間に立派に立ち直り、汗と努力で“経済大国”と呼ばれるまでになってきました。事実、日本は世界の総生産の一〇パーセントを、また世界貿易の七・三パーセント(一九八〇年)を占めるまでになり、自由世界第二位の経済力を持つに至っています。これには、戦後の日本が、いわゆる軍事小国の道を選んだことも幸いしていると思いますが、世界の諸国から見ればその発展は驚異的なものであったといえるでしょう。
そうした現状を考えるとき、日本はもはや、自国だけの利害で動くことは許されないと思います。リーダー国アメリカを支える先進諸国の一員として、その先頭に立って他国のこと、世界全体のことを考えながら、調和ある世界の実現に貢献していかなくてはならない役割を、日本が好むと好まざるとにかかわらず担うべき時代に入っているのです。
単なる経済大国から、世界全体のスムーズな運営をアメリカを支えつつ生み出していく調整役へ、それが、戦後の混乱や二度にわたる石油危機を克服し、今日の姿にまで発展してきた日本の使命ではないか、そう私は思うのです。(中略)
これからの日本がめざすべき、そうした方向は、いうなれば日本が、世界の大番頭としての役割を担う立場、つまり、世界の中の“大番頭国家”になることだともいえるのではないかと思います。
ご承知のように昔の大きな商店には、「大番頭」と呼ばれる人がいて、この人が店の盛衰の大きなカギをにぎっていました。
大番頭には、丁稚から手代と長年にわたり、さまざまな苦労、体験を重ねて番頭になった人の中から、とくに見識が高く人望のある人が選ばれるわけですが、その担う役割はきわめて大きなものでした。仕入れをどうするか、販売をどうするか、お得意先とどのように接するか、といった日常業務はもちろん、丁稚や手代の人間関係の調整や教育から同業者とのつきあいまで、主人の意を体しつつ細かい心配りでこなし、店のすべてを実質的に取りしきっていく役割が課せられていました。また、主人が店の商売について誤った決断をしないよう、十分に補佐していくことさえ求められていました。
ですから、たとえ店の主人が病気がちであったとしても、立派な大番頭のいる店は信用される、というようなことで大番頭に人を得ているかどうかが、ある意味では主人以上にその店の発展を左右する重要な要因だったのです。
世界を一つの店にたとえるとき、日本はこれからこの大番頭の役割を力強く演じていくべきであると思うのです。