生まれてすぐ死んだり、不慮の災害で死んだりすることは、個人的な人情からいえばまことに忍びないことだと思います。しかし、ここで申しあげております死というのは、個々のものについて言っているのではなく、全体としての死を指しているわけです。

 

 たとえば、草木について見ても、個々のものを見れば、あるものは若木で枯れ、あるものは双葉のままで踏みにじられてしまうかもしれません。しかし、草木全体の生長の姿を見ますと、日に新たであり、日々に生まれ変わりつつあって、全体としてはいつも生成発展の姿をとっているわけです。これと同じように、人間も個々に見ればいろいろな不慮の死もあるでしょうが、全体として見れば、人類はいつも日に新たに生まれ変わりつつあり、絶えず生と死との流転の姿をとりつつ生成発展しているわけであります。

 

 ですから、個々の場合において、情において忍びないものがあったとしても、それをもって全体を推し測ってはいけないのです。人類全体を通じての死、さらに生あるものすべてを通じての原理を、はっきり自覚していなければならないと思います。この原則を自覚すれば、人情として嘆くことはあるとしても、その悲しみから心を乱して、人生を踏み誤るようなことは起こらないと思います。

『松下幸之助発言集37』(1949)