最近のような状態の中にあっては、お互い死んでも死にきれない、というようなつもりでやらなければいかんですよ、こういう状態では。そうでありますから、商売はもちろん大切ですが、商売以上に大切なものは、私は日本人としての志をもつことだと思いますな。そういう志をしっかりもてば、商売はそれについてまわりますから楽なものです。その肝心の日本人としての志を失ったらいけないと思うのです。

『松下幸之助発言集10』(京都政経文化懇話会2月例会・1976) 

解説

 1964年、会長職にあった幸之助は、急遽営業本部長代行となり、存亡の危機に瀕した自社を窮地から脱出させました。そして60年代後半には著作活動に精を出しはじめ、70年代に入ってからは、雑誌のインタビューにせよ、講演にせよ、政治・経済・教育などについての国家への提言が増えていきます。

 この発言のあった1976年は「新国土創成論」を発表、翌年はじめには『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』という、自らの国策提言をベースにしたストーリー仕立ての著書を刊行したりと、自身の国家観が熟成していた時期でした。ところが現実の世の中はというと、ロッキード事件が起こり、60年代半ばから激しさを増した学生運動も、下火になっていたとはいえ、その余波がまだまだ残っており、日本の倫理・道徳観が大きく揺らいでいた頃でした。さらには、戦後の焼け野原から見事な復興をとげた日本経済にも次第に陰りが見えはじめ、危機が様々な面で噴出しつつあり、幸之助の危機感がピークに達しようとしていた時期でもありました。この講演でも、そうした一連の問題に言及し、大いなる危惧を表明しています。しかも「お互いが責任転嫁のしあい」をしており、「政府が悪い、企業が悪い、マスコミが悪いと言いあい」をして「許しがたい国民性をつくりつつある」といった辛辣な言葉も放っています。

 しかし批評だけで終わらないのが幸之助です。わが商売、わが仕事はもちろん大事だけれども、それ以上に大事なものがあるのではないか。日本が一丸となり、混迷する世界のなかで精神面・物質面ともに奉仕をしていかなければならないのではないかと訴えかけてもいるのです。天から与えられた大きな試練(幸之助流にいえば、チャンスに変わりうる試練)が、いま、「2012年の日本」の眼前に横たわっていることを強く意識して、日本国民全体が「目覚める」ことを、幸之助はきっと草葉の陰から願っていることでしょう。 

学び

いま起こりうることの奥になにがあるのか。問題の本質はなにか。そのことに目を向ければ、やるべきことは山ほどある。自分の仕事・人生だけに終始している場合ではない。