あきらめてしまうことは簡単である。そんなことはいつでもできる。しかしながら、あきらめてしまえば、それで事は終わりである。だから私はあきらめなかった。

人を活かす経営』(1979) 

解説

 この“執念”の言葉は、松下幸之助が経営上の苦難期を振り返り、当時の心境を吐露したものだと思われるかもしれません。しかし実は、そうではないのです。松下電器(現パナソニック)が著しい成長発展を遂げ、業界でも信用・評判が日増しに高まっていた昭和3年のこと、前年からの金融パニックで日本経済全体が厳しい状況にもかかわらず、幸之助は生産拡大のための新工場建設を計画します。その必要資金(当時の15万円)の借り入れを依頼した銀行と、条件交渉をした際の心持ちを述懐したのが、今回の言葉なのです。

 銀行との交渉については自伝『私の行き方 考え方』に詳しいのですが、大まかにいえば、15万円の用立てを承諾した担当の支店長は、借り入れによって新設する建物とその土地を担保にあてるという、幸之助にとって非常に有利な条件を整えてくれます。ところが幸之助はその条件にひっかかるものを感じるのです。それは、担保付き借金をもっていることが世間に知れたとき、発展途上段階の松下電器の「信用」に傷がつくおそれのあることを察知したからでした。借り入れにあたって、業績を詳らかにし、返済は十分にできる可能だと明確に示した。明朗かつ堅実な経営をしているという自負もある……。そこで幸之助はあきらめることなく、いま一度、無担保借り入れを銀行に要望します。そして相手側の支店長も、幸之助の実績と心意気を受けとめ、結局は幸之助が希望した条件を通してくれました。

 それからの松下電器は、昭和初期の不況も乗り切り、飛躍的な発展を遂げていきます。交渉の急所で安易に妥協せず、熱意をもって誠実に事にあたる。その姿勢に取引先も応えてくれる。日頃から築いてきたお互いの信頼関係が、そこで大きく花ひらく。あのときに、あきらめなくてよかった……。こうした経験を積み重ねながら、松下幸之助は自らの経営の道を切りひらいていったのです。

学び

いい意味での執念をもちたい。

なにごとも簡単にあきらめないだけの熱意を保ち続けたい。