日本人は決して単なる模倣民族ではないと思う。吸収消化する民族である。

 『松下幸之助発言集39』(「あたらしい日本・日本の繁栄譜6」『PHP』1965年7月号)

解説

 第29回のコラムで挙げた、いいタネを見つけてそれを自分の土壌にいれて、いい花を咲かすという表現と同類の言葉です。1965年といえば松下幸之助は会長職にあり、経営者としてまだ健在でした。当時の松下電器はというと(多くの日本企業がそうでしたが)、“マネシタ電器”と揶揄されるほど、創造力に欠けると指摘されていましたから、ただ「模倣」する民族ではないという表現の裏側に、技術屋でもあった幸之助の真情、矜持が見てとれる言葉ともいえそうです。

 幸之助の日本人としての矜持を物語るエピソードがあります。コーヒー・メーカーを開発したときのこと。なかなか業績が上がらず、しかも外国企業に市場シェアを大きく占有されているとの報告に、幸之助は“日本が占領されているのだぞ!”と檄を飛ばします。これを受けて担当責任者は積極果敢に手を打ち、ついには巻き返しを果たしたのです。そうした世界に追いつき追いこすぞという大和魂が、幸之助のみならず戦後の多くの日本人にあったからこそいまの日本があることを、平成の日本人は忘れてはならないでしょう。

 太平洋戦争において戦勝国側である欧米諸国に負けてなるものか。しかしそのためにも、学ぶべきは学ばねばならない。敗戦国側の人間としてのわだかまりに固執することなく、素直な心で謙虚に学び、倣うことが、自社そして日本のためである。そうした幸之助の信念が、オランダのフィリップス社との技術提携、松下電子工業の発足を実現させたのです(1952年)。そして幸之助は、ともに海外に学び、働き、闘い、成果を出し続ける社員を見て、感謝の念を強くするとともに、日本人の持つすぐれた民族性をはっきりと再確認していたはずです。

 “守破離”という言葉があります。日本の武道、芸能、茶道などで大事にされている考え方で、能の世阿弥による書『風姿花伝』にある「序破急」がもとにあるといわれますが、正確にはよくわかりません。“守”とは師に忠実に学び、倣い、励むこと。そしてその師からの教えを吸収消化したうえで、自分流をみつけるのが“破”。さらにはその守・破の2ステージを超えて、何ものにもとらわれず、自分らしさを開花させるのが“離”。この3段階で修行が成立するというわけです。

 こんなすぐれた知恵を、日本人はすでに600年前から身につけていたのです。それが日本人の伝統精神として綿々と受け継がれてきたのは間違いなく、今回の幸之助の言葉にも、相通ずる面が見てとれます。経営道という修行を極める中で得た人間観・日本人観のうえに立って、日本民族全体を俯瞰したとき、幸之助の心に今回の言葉が浮かんできたととらえてもいいのかもしれません。 

学び

まず模倣してみる。しかしそれで終わらず吸収消化する。

吸収消化して、そのうえで自分の花を咲かせるのが日本人。 松下幸之助”といえる今回の言葉の中の「心を定め」るという表現を、幸之助は好んで使いました。人間の心というものについて並々ならぬ関心をもっており、別の著作には、心の“違いを見る顕微鏡というものがあったとしたら……”といった記述もあるほどです。また、幸之助にとって繁栄とは物質・精神の両面の繁栄、すなわち物心一如の繁栄を意味しました。幸之助の、この心に対する強い探究心と独自の認識は無限の広がりをみせ、ついには、宇宙には科学によって発見されるような物的な法則があるとともに、心的な法則も存在するはずとして、みずからの思索、PHP研究の対閑話休題、人間の心を、孫悟空の如意棒のように融通無碍で伸縮自在の心を、進むべき方向にぐいと伸ばしていけるよう安定させる。幸之助が心を定めるというときには、そうした意味合いが深層にあります。仏教用語に“三昧(ざんまい)”という言葉があって、精神統一ができた、心の安定した状態になることをいいますが、それと近似した状態になることと理解してもいいでしょう。実際に幸之助は、自身のモットーであるえず素直になるということを念頭におき、それを口に出して唱えるわけです。仏教においては、〝念仏三昧〟というようなこともいうそうですが、この場合はいわば〝素直三昧〟というようなことにもなるでしょう。しかもそれは、自分一人でも素直三昧をすると同時に、互いにそういう姿を生み出していくわけです。そういう素直三昧迦さまのように、悟りを得ることに一生心を定めて生きることなどは、凡人には実践も想像もしがたいことですが、素直になるという一点に集中し、お互いがどんなときも素直な心で考え、行動するということに心を定めるのなら、なんとかとり組めそうな気がする――。幸之助の“素直な心になりましょう”という世の人への提唱は、そうした意味でいまも多くの人をひきつけているのでしょう。そして、いついかなる