夢や希望を持つことが大事だからといって、それにとらわれて、みずからの立場なり現実の社会というものを忘れてしまってはいけない。それでは夢があくまでも夢のままに終わる。けれども、われわれは現実に照らして一段高い目標を定め、これにしたがって日々の仕事を着実にすすめてゆくならば、その夢がしだいに現実化してくるのだと思う。また、そういうところに人生の喜びというか、いわゆる生きがいというものを感じることができるのではないだろうか。

『明日をささえる』(1968) 

解説

 あるとき“あんたの趣味は何ですか”と聞かれ、松下幸之助は“私には趣味はないですな。まあ、しいていえば、夢が趣味ということになりますかな”と答えたそうです。さぞかし聞き手も面食らったことでしょうが、幸之助はさらにこう補足しました。

 

“夢ほど、すばらしいものはない。空想はいくらでも描けるし、きりはない。広い未開の地に行って、そこの開拓王になることだってできるし、大発明をして社会に非常な貢献をすることもできるし、あるいは巨万の富をもつことも夢では成り立つ。私みたいに芸のない者は、夢でも描かんことにはしょうがないかもしれないが、そういう意味で空想もまた楽しいものだと思っている。これを私の夢の哲学とでも名づけようか”

 

 幸之助と同時代に活躍した経営者で、「夢」といえば、まず本田宗一郎氏(故人)を思いだす人がいるかもしれません。『夢を力に』(日本経済新聞社)という著作もあり、モータリゼーションにかけた夢を次々に実現していったこの名経営者は、多くの産業人を魅了しました。その奔放な情熱に満ちた数々の言葉は、幸之助と同様、時代を超えて、いまも支持されているようです。氏と幸之助は、ことあるごとに比較されましたが、本田氏に負けず劣らず、幸之助も夢について、大いに語っていたのです。

 ただ幸之助の夢には、ある特徴がみてとれます。それは、繁栄・平和・幸福の実現、企業の社会的使命の達成、さらには日本をこうしたいというような、公(おおやけ)のことばかりなのです。“無税国家論”や“新国土創成”といった政策提言や、“新しい人間観”の完成と、それを礎とする理想社会の実現は、幸之助にとって、現実に照らした上での夢であり、希望であり、ミッションであって、単なる夢想ではありませんでした。

 現実を忘れない。しかし現実にとどまらない。夢と希望、そして現実との向きあい方について語った今回の言葉には、“幸之助らしさ”が匂い立っています。 

学び

夢が趣味といえるほどに、希望に満ちた毎日を生きているだろうか。