運命を生かす、などというと、大げさに聞こえるかもしれませんが、しかし各人それぞれに与えられている天分、特質、あるいは家庭や職場など社会環境いっさいをありのままに謙虚に受けとめ、これを前向きに素直に生かし合いたいと思うのです。
『人間としての成功』(1989)
解説
松下幸之助にとって「運命を生かす」とはどういうことか。そのことを考えるときにどうしても欠かせないのは、(第27回コラムでもすこし触れましたが)やはり生来病弱だったということでしょう。以下は、幸之助が二十歳前後のころに罹った大病(肺尖カタルという結核の初期症状)について回想したものです。
「私は非常におどろいた。私の場合、二人いた兄がすでに二人とも結核で死んでいる。だから、自分自身も結核の初期だと聞かされたとき、『これは自分の番が来た、来るものが来たな』という感じがして、心がなにか重苦しくなったものである。そのとき医者は、『養生が必要だから、くにへ帰って三カ月ほど養生してはどうか』と言ってくれた。しかし当時の私にとって、それはできない相談であった。というのは、私には帰る家もなく、両親も親戚もない。第一、金がなかったのである。(中略)養生するために休んだら、日給制だから食べていけない。会社の仕事を休んで寝ていたならば、死ぬよりほかにしようがなくなる。養生しなければ死んでしまうかもしれないが、養生をして寝ていたところで死ぬしかない。いずれにしても、これは助かりそうにもない状況である。いわばどうにもしようがないわけである」〈『決断の経営』(1979)〉
切羽詰まった様子がありありと目に浮んでくる文章ですが、このときに幸之助は、“どうせ同じ死ぬのであれば、養生して寝ながら死ぬよりも、働けるだけ働いて死ぬ方がいい。どうせ人間は一度は死ぬのだ。それはそれでいいではないか。しかし、ただ寝ていて死を待つというのはおもしろくない。働ける間は大いに働こう”と思い直したといいます。本人いわく“あきらめの境地から生まれた度胸”です。
そして幸之助はのちに、この病弱という逃れられない運命を生かし、“病と仲よくつきあう”ことで長寿を得ます。仕事・経営面においても“人に頼む・任せる”という行き方を確立していくことになります。今回の「運命(与えられた天分、特質、社会環境いっさい)を生かす」という言葉は、そうした一連の体験に裏打された“実践人生哲学”そのものなのです。
学び
自分の運命から逃げない。
謙虚に受けとめ、前向きに素直に生かすのだ。