ぼくは今までに何度か死ぬような場面に出くわしてきたのです。しかし、その時にもぼくは死ななかった。そういうことを何度か体験すると、いつしかぼくは非常に強い運命をもっているのではないかと考えるようになってきた。つまり、よほどの強い運をぼくはもっている、そう自分にいいきかせ、一歩一歩確実に今日までやってきたのですね。ぼくは決して運命論者ではありませんが、やはり人間には運というものがあるように思うのです。ぼく自身、小学校も中途で辞め、しかも生まれつきからだも弱く、いうならばそういう悲運の持ち主でも今日まで何とかやってこられた。そういうぼくの運とくらべると、あなたはさらに良き強い運があるかもしれないのですね。そのことをはっきり知って、さらにそのご自身の運をより強いものに磨きあげていってほしいと思うのです。
『若葉』(1979)
解説
以前(21回)のコラムで松下幸之助の運命観に関する言葉をとり上げましたが、同様の今回の言葉は、PHP友の会の機関紙『若葉』(現在は『すなお』に改題)に掲載されたものです。ちなみにPHP友の会とは、草の根的な活動組織で、月刊誌『PHP』を中心に、幸之助の考え方について学びあい、日常に生かすことを主目的としており、いまも精力的に活動が続けられています。
発足当時の会員は、幸之助にとって孫の世代ほどの若い人たちでしたが、幸之助みずからが提唱したスローガン“素直な心になりましょう”に共鳴し、集まっていると聞いて、非常に喜びを覚えたようです。そうした若者がますます増えてくれたらと、多用の中でも積極的に『若葉』に寄稿し、さらには会合に顔を出したこともありました。
閑話休題、今回の言葉には「松下幸之助」の“行き方”が凝縮されているといえるでしょう。人はどん底にいると、周りがよくみえなくなり、卑屈になり、負け犬根性が染みついてしまうことさえあるものです。しかし幸之助がそうならなかったのは、やはり“自分は運が強い”と自分に言い聞かせることで、普通なら悲観的になるようなときでさえ、前向きに積極的に生きることができたからでしょう。
そういう思考行動をとれたこと自体、先天的に優れた能力があった、凡人ではなかったと考えるべきなのかもしれません。しかし幸之助はともかく、自身の体験において、多くの人と接し、関わりをもつなかで、“自分にもできた、あなたにもできるはず”と考えるようになり、ついには“人間は磨けば光るダイヤモンドの原石のようなもの”という人間観をもつようになったのです。そして今回の言葉でも、あなたのほうが良い運を持っているはずだから、より強い運に磨くよう努力してほしいと本心から要望したのです。
学び
自分は、恵まれているのだと気づく。
それに感謝し、さらにその運を強くする。