あの(太平洋)戦争直後に非常に困難になった時期がございますが、その時は私どもは、片手にハンマーを持ち仕事をする、そして片手で食糧探しをするというような生活をしばらくしたわけです。仕事をしているだけでは食べられない。だからハンマーを持って仕事をするその合間、合間に食糧を探しにいった。そして食糧を手に入れて分配し、命をつないだ。そういう何カ月間か、あるいは一年とか二年の間というものがあったのです。そういう状態を通過して今日を築いたわけですが、そういうようなことが再び起こってきた。今度は片手でハンマーを持って、片手で食糧は探さなくてよろしい。しかしその代わりに国家を論ずる、つまり政治がどうあるべきかということをお互いに考える。そういうことをやらなければならない時代になったということがいえるのではないでしょうか。
『危機日本への私の訴え』(1975)
解説
「食糧探しをする」という生活を、平成の日本人はもう想像すらできないでしょう。確かに収入の二極化が進み、貧困層となる世帯も数多く存在します。しかしその貧しさは太平洋戦争敗戦後の荒廃期とは比較できません。しかし心の貧富という面では、進歩したか後退したのか、よくわからないというのが実際でしょう。
たとえば今春(2013年)、障害者総合支援法が施行されます。この福祉の分野は大マスコミが掘り下げて報道することもあまりないようですが、いまもどこかで、身内に要介護者や重度の障害者がいて、心労を重ねている方がたくさんおられます。それに悩み苦しみ続けている方もあれば、その悩みに負けてしまわず、心に悦びをもって毎日を生きておられる方もいるでしょう。どちらもその人の人生であり、その人にしかわからないことがあるものです。他人がどうこう口出しをしていいことではありません。
しかしそうした人たちが、もし社会に助けを求める声をあげたときは、いつでも支援できる体制を社会が保持しておくことが、人間としてなすべきことなのではないでしょうか。幸之助が今回の言葉でいっているのは、まず自分を満たしなさい、それと同時に社会全体を満たすよう努力しなさいということです。自分を満たせる人は、それで満足しないでほしいといっているのです。
以前、“友愛”という言葉を掲げた首相がいましたが、その実現にむけた具体的政策などありませんでした。お互いを助けあうために政治はあります。しかし綺麗なお題目だけで、理想は実現しません。湖を優雅に泳ぐ白鳥は、水面下で必死に足を動かしているのです。理想を掲げ、実現するための政治、政策は、真剣勝負でとことん議論しあう中から生まれるはずです。そしてその場に積極的に参加する責務が、自足できる大人にはあるのだと幸之助は伝えたかったのでしょう。
学び
自分のためだけでなく他人のために生きる。
その具体的行動が政治に参加すること。