一人ひとりの社会的責任というものが、必ずしも十分に認識されていないように思われる。その結果、自分の社会的責任はタナにあげて、他の責任だけをもっぱら追及するというような姿が多くみられる。もちろん、他の責任を追及することが悪いというわけではない。人間というのは一面弱いもので、他から追及されないと、なかなか進んで自分の責任を全うしようとしない面も持っている。だから、それぞれが自分の社会的責任をよりよくはたしていけるように、お互いにある程度追及し合うことはそれなりに意義があると思う。しかし、その前に大事なのは、まず自分の社会的責任を知り、それをはたしていくことではないだろうか。
『崩れゆく日本をどう救うか』(1974)
解説
今回の言葉の本意を端的にいうなら、“まず自責を、それから他責を”ということでしょう。そしてこの、松下幸之助がいう「社会的責任」は、かつて“国家が自分になにをしてくれるかではなく、自分が国家のためになにができるか”を考えてほしいと国民に説いたアメリカ大統領を想起させます。
そのJ・F・ケネディが暗殺されてからはや半世紀が経ちました。幸之助は、ケネディのリーダーシップに高い関心を示していました。ケネディ暗殺後、泥沼化していったベトナム戦争のころから、アメリカという大国のパワーに陰りが見えはじめたものの、それでも世界一の経済力と軍事力、さらには独特の明朗な国民性をもって、アメリカは世界のリーダー役を果たしてきました。
幸之助の生きた時代は、日本経済がそのアメリカにキャッチアップしそうなときでしたが、日本は大番頭国家であらねばならぬと幸之助はいいました。アメリカを信頼しつつ、よき方向に導き、世界にPHP(物心ともの繁栄を通じての平和と幸福)をもたらすことが、国際政治上に描いた幸之助の夢でした。
その後、世界勢力図は急速に塗り変わり、パワーが分散・分極化し、さまざまな範囲でフラット化やグローバル化が進んでいます。しかも昨今話題のアメリカのシェール革命などが具現化してくれば、またもや新たな世界地図が描かれる可能性も大です。まさに刻々と変化する世界情勢のなかで、日本という国家、そして日本人が果たすべき「社会的責任」とはいったいどういうものなのか。お互いにしっかりと考えてみたいものです。
学び
自分の社会的責任はなにか。
自分はいま、なにをなすべきか。