PHP研究所創設30周年記念出版として、昭和51(1976)年1月『小説・新世紀の日本』が企画されました。この原稿作成のため、同年7月15~28日、高野山西禅院にて合宿が行なわれています。文房具や録音機器、机まで高野山に運び、松下幸之助と途中参加者を含めて9名で連日、研究会が行なわれました(録音№5139~5150)。

 当初予定されていたスケジュールでは、夜に2時間ほど「翌日準備」の時間が設けられていました。しかし実際には午後7時から明け方の3時ごろまでその作業に追われ、研究会よりも準備の時間の方が長い日もありました。「翌日準備」は原稿を直したり、完成した原稿を読み上げて録音したりする作業が含まれています。


 この合宿では『素直な心になるために』の推敲も行なわれ、17日は終日この作業に当てられました(録音№5139)。合宿の大半は『小説・新世紀の日本』の推敲が行なわれており、あらかじめたたき台となる原稿を朗読して録音し、研究会ではテープを再生しながら政治や社会について皆で意見を出し合いました。合宿の終了時点で50万字超の草稿が完成しています。最終日には、松下政経塾の原型となる「政治家養成塾」の募集要項も討議されました(録音№5146)。


 下山の後に『小説・新世紀の日本』を製本し、松下電器幹部など数十名に読んでもらったところ、四六判上下2巻で合計900頁以上は長すぎるという意見が多数出ました(録音№5156)。さらなる改稿に時間がかかったため、11月3日の創設記念日には間に合わず、昭和51年12月14日に最後の校閲が行なわれています(録音№51101)。最終的に28万字程度(477頁)に縮小され、翌昭和52(1977)年1月、『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』と題を改めて発刊されました。