松下政経塾の設立発起人会議は、昭和54(1979)年1月22日、東京のホテルニューオータニで開かれました(録音№1724)。松下幸之助も出席し、議長に就任しています。
日本興業銀行相談役(当時、以下同)の中山素平氏、ワコール社長の塚本幸一氏、NHK解説委員長の緒方彰氏など16名が発起人に就任しており、当日は住友金属工業会長の日向方齊氏、作家の曽野綾子氏、京都大学教授の高坂正堯氏の3名は欠席でした。冒頭で幸之助は、政経塾について7~8年前から構想があったと述べています。当初は私塾にするつもりでしたが、周囲の勧めによって財団法人にしたことも明かしました。
当時、多くの有識者が政経塾の設立に協力した背景には、塾に対する世間の関心の高さがありました。同年1月12日、NHKのテレビ番組『青春は永遠に・松下幸之助84歳』は政経塾の設立を大きく取り上げており、塾舎の建設現場を空撮で紹介しました。
松下政経塾の財団法人の認可を受けるために、活動が本格化したのは、後に松下政経塾副塾頭になる合田洋行(ごうだ・ひろゆき)氏が担当に着任した昭和53(1978)年4月27日からでした(※1)。翌月に幸之助と合田氏で基本構想がまとめられ、昭和55(1980)年4月に開塾することや茅ヶ崎に塾舎を建設することなどが決まりました。
昭和54(1979)年6月19日、正式に財団法人として認可され、同月22日、幸之助は経団連会館で改めて記者会見を開いています(※2)。認可を受け、同月25日、朝日、読売、毎日、日経各紙に塾生募集の広告が掲載されました(写真)。
1)以下、特に注記がない場合、合田洋行氏が昭和55(1980)年2月5日付で作成した「財団設立に関する留意点」(『松下政経塾関係書類』ファイル所収)という資料に拠っています。
2)「松下さんひとくさり 政経塾来年4月に開校」『朝日新聞』昭和54(1979)年6月23日付3面など。この記者会見の録音は現存していません。