松下幸之助は昭和56(1981)年5月12日、勲一等旭日大綬章を授与されました。昭和45(1970)年5月11日に勲一等瑞宝章を授与されたのに続き、二度目の勲一等でした。

 5月12日当日、幸之助は燕尾服でまず皇居に行き、昭和天皇より勲章と勲記を賜りました。引き続き、着席して他の叙勲者と記念撮影をしています。この日はそのまま松下電器東京支社を訪れ、社内で改めて記念撮影をしました。


 6日後の同月18日、松下電器本社で第194回経営研究会が開かれ、幸之助が登壇しました。講話に先立ち、司会が来場者に対し、「松下相談役は、先の5月12日に天皇陛下より勲一等旭日大綬章を受章なさっておりますので、最初に拍手でお祝いをしたいと思います」(速記録№1880)と述べています。幸之助は、天皇陛下が勲一等を「松下電器に下さった」と解釈し、自分が代表で受け取ったものと説明しました。


 PHP研究所にはすぐに訪問する機会がなく、2カ月後の7月11日が叙勲後初めての来所となりました。元PHP研究所・所長代行で、当時は松下不動産・専務取締役の下野光男氏も祝いに駆けつけました(※1)。幸之助は旧京都本部の5階ホールで講話をし、「ここにおられるみなさんの力のおかげであると、かように考えて、私は心から感謝しております」(速記録№5609)と述べています。叙勲式の模様は毎日映画社によって4分程度の映像に編集され、8月18日に所員に披露されました(※2)。



1)昭和56年『PHP研究所所誌』7月5頁。


2)昭和56年『PHP研究所所誌』8月1頁。