最初期からPHP友の会の結成に強い意欲を示した団体として、NHK大阪中央放送局をあげることができます。昭和22(1947)年1月7日、松下電器本社第一会議室で開催された第35回PHP懇談講演会は、水川清一・大阪中央放送局局長など7名が参加しました。記録には、その時の様子について「今までにない同志的雰囲気を認む」と記されています(懇談会記録綴)。

 

 同年1月10日に大阪中央放送局で開催された第36回PHP懇談講演会は、水川局長以下35名が出席し、「全員衷心より賛意を表さる、早速友の会結成を希(こいねが)はる」(懇談会記録綴)とされています。しかしこの時点では、まだ友の会結成のための手引書がありませんでした。同年1月28日に手引書が完成し、同年2月7日、松下幸之助は水川局長に手紙を送り、「『PHP友の会の手引き』の印刷出来上りましたので早速御手許へ御届け申上ます」と書いています(発送文原稿綴)。

 

 さらに同年4月15日には、2名のPHP研究所所員が放送局へ出張して「友の会結成に関し協議」しており(業務日誌)、翌16日には、所員が「大阪放送局PHP友の会」の会合に出席しました。この時の様子は月刊の『PHP新聞』に詳しく掲載されており(上写真)、おそらくこの時点で放送局内にPHP友の会が結成されたと考えられます。

 

 その後も、昭和25(1950)年3月29日、クラブ関西で開催されたPHPによる会合に大阪中央放送局放送部長の島浦精二氏が出席した記録があるほか(※1)、PHP研究所の社歌である「毎日のことば」の最初のメロディーを作曲した内田元氏は大阪中央放送管弦楽団の常任指揮者でした。松下電器はラジオ受信機製造販売の最大手だったこともあって、NHK関係者は幸之助の活動に熱心に協力したものと思われます。

 


1)『PHP』第37号(昭和25〔1950〕年5月1日発行)79頁。