株式会社PHP出版社は、昭和38(1963)年6月ごろ、大阪国税局から「第1期法人税確定申告書」にもとづいて監査を受け、業務の改善を指示されました(PHP研究所誌)。このため、松下電器との協議によって、以下の点が同年9月1日に決定されています。
第一に、真々庵の一部を「会長事務所」とし、それに要する賃借料、庭園維持費、交際費、人件費を松下電器に振替えることになりました。この決定以降、真々庵の庭の維持管理は、松下電器が費用を負担しています。
第二に、雑誌購読料などの収益が経費に対して非常に少ないことから、株式の配当金を営業外収益より営業収益に振替えました。
第三に、雑誌の収入を増やすため、定価を1冊30円から50円に値上げすることになりました。当時は約4万の発行部数であり、値上げは翌昭和39(1964)年1月発行の『PHP』第188号(上写真)から実施されています。
第四に、「PHP出版社」の社名では「雑誌の印刷、出版だけの活動ととられやすい」(PHP研究所誌)と考え、「広範囲な活動を志向させる意味」から、社名を「株式会社PHP研究所」としました。
昭和38(1963)年9月18日、社名は「株式会社PHP研究所」へ変更登記され、会社の「目的」は第一に「社会問題の研究および書籍雑誌の出版」、第二に「株式の保有」、第三に「前各号に附帯、または関連する一切の業務」とされました(PHP研究所誌)。松下幸之助は同年9月13日から26日までアメリカを訪問しており、18日は通常どおり第26回朝食会(現在の真修会)が開かれた以外、特別な式典はありませんでした。