物心一如の繁栄を目指すPHP友の会は、初期のころ、生活協同組合として運営されることもありました。今日記録が残っているものとして、滋賀県守山町(現・守山市)と大阪府深日町(現・岬町)で、そうした活動があったことが分かります。
『PHP』第9号(昭和22〔1947〕年12月発行)40頁には、「PHP生活協同組合滋賀県守山町に誕生」という記事が掲載されています。同地においては、乘伸製作所社長の南井金治氏が友の会本部の理事となり、PHP運動を積極的に展開していました。記事は、南井氏が1,000名の会員を集め、「未開墾地、不毛地の活用或いは厚生授産場、青果物を主とする農産加工品製造を計画しつゝある」と述べています。
翌昭和23(1948)年4月19日には、所員が乘伸製作所を訪問し、生活協同組合の運営について懇談しました(PHP友の会本部日誌)。同年11月3日発行の『PHP新聞』第7号3面には、南井氏が「生活必需物資を生産地より直接仕入れて組合員に比較的安価に供給したので」、会員数は1,500名に増えたと記してあります(右・写真)。
大阪府深日町では、松下幸之助が昭和22(1947)年5月28日に訪問し、第155回懇談講演会が開催されました(懇談会記録綴)。翌昭和23(1948)年4月16日には、深日町の塚田喜太郎氏の自宅で、PHP研究所の尾崎行正所員を講師として、第221回懇談講演会が開かれます。塚田氏は、同地において「深日よいこどもたち園」という幼稚園を経営しており、『PHP』には「ツカダ・キタロー」のペンネームで寄稿していました。懇談講演会では、「友ノ会相互ノ連絡、物資交換、生活協同組合等ノ具体策」について話し合われ、「ユネスコトノ関係連絡」も検討されています(運動記録)。その後も塚田氏は活発な運動を展開し、同年9月11日の第255回懇談講演会では、PHP研究所に「児童用ノ絵本ノ出版」を提案しました(運動記録)。