昭和八年七月、松下電器門真本店竣工。次いで九月、第十一、十二工場完成。来賓を招待し、三日間にわたって披露をすることになった。
新工場群の一隅に、柔・剣道の道場として尚武館が併設され、初代館長には二十六歳の工場長が任命されていた。
前日の夕方、幸之助が招待客案内のコースを下見してまわった。尚武館に入ったとき、ずうっと見てまわる幸之助の足がピタッと止まった。その視線の先には、欄間付きの豪華な神棚があった。
「なんちゅうもんを置いとる! 武道というもんは簡素なもんや。豪華なばかりが能やない。こんなごったらしいもん置くやつあるかい、すぐ替えッ!」
困ったのは青年館長である。翌日の九時に披露開幕が迫っている。時間がない。だいいち神棚にまつる祠などどこで売っているのか見当もつかない。とにかく京阪電車で天満へ出た。人に尋ねまわったが、きく人きく人みな知らないという。あちこち尋ねまわるうちに日は暮れる、店は閉まりだす。やっとのことでそれらしきものを売っている店を見つけ出したときは十一時を過ぎていた。「あしたにしてくれ」と言うところを三拝九拝してようやく小さな祠を手に入れることができた。
もう終電車は出てしまっている。やむなく門真までの十数キロを歩いて帰り、祠を取り替えると、しばらくのあいだ宿直室で仮眠した。
さて当日、午前七時に、幸之助の最後の巡視があった。夜どおしかかって買ってきた祠である。さぞほめてくれるであろう。館長はいささか得意気に言った。
「あれ替えときましたで」
「そうか、そらよかったな」
期待に反して幸之助は、ちょっとうなずいただけ。そのまま尚武館を出ていってしまった。
“なんということだ。人がせっかくこれほどまでに苦労したのに。あの人はほめるということを知らんのか……”
三日間の披露が無事にすんだ翌日、館長は幸之助の部屋に呼ばれた。
「きみ、だいぶ苦労して買うてきたらしいな」
「はいッ。戻ってきたのは夜明け近くでした。ハッ」
すると幸之助は館長の鼻先に手を差し出して、こう言った。
「駄賃をくれ。授業料のせてんか」
「………」
「きみはぼくに授業料出さなあかんで。ぼくはきみに経営のコツを身をもって教えてやったんや。経営のコツを悟ればその価値百万両や、さあおくれ」
返す言葉もなく、涙が出るほど感激している青年を見ながら、幸之助はニコリと笑ってひと言つけ加えた。
「まあ、今すぐもらわんでもええけどな」